<第1話>3億円事件の総括 ①

記者馬場錬成一代記

 1968年12月10日、東京・府中市で発生した3億円事件は、誰も傷つけずに現金3億円(今の物価では20億円以上に相当)を車ごと盗みとったもので、日本の犯罪史上前代未聞の完全犯罪だった。この事件に筆者は、発生したその日から(正確にはその前日から)どっぷりとかかわったものであり、その全貌を総括することにした。

 3億円事件は、前日から発生していた

 1968年12月9日(3億円事件発生の前日)午後4時ころ、当時、読売新聞社会部警察回り担当を先輩の鰭崎浩(ひれざき・こう)記者から引き継ぐため、二人で連れ立って警視庁三鷹署の玄関をくぐった。翌日の12月10日から、筆者が鰭崎記者に代わって警視庁第8方面の警察担当(サツ回り)になるため、交代挨拶に行ったものだ。

 第8方面は三多摩地区の11の警察署が治安管轄しており、その警察に順次挨拶回りをする途中だった。三鷹署の署長・次長に新任挨拶を済ませ、刑事課長とも名刺交換するために刑事課の部屋へ行った。

 刑事課の部屋の前で警察官が二人立っていて、入室を止められた。ワケを聞いても言わない。部屋の周辺は物々しい雰囲気である。引き返して次長にその理由を聞いたところ、脅迫事件が発生しており、これから刑事たちが張り込み捜査に行くと言う。

 警察署次長は、署のスポークスマンであり、新聞記者の対応が当時は大きな仕事だった。聞かれれば、誠実に対応するのが次長だった。

 取材などして警察の動きを知られると犯人を取り逃がす危険がある。事件が決着した時点でメディアに広報するので、それまでは、取材も報道もしないでほしいという強い希望だった。

3億円事件発生の前日に脅迫事件を捜査した現在の三鷹署。

事件当時とは全く違う庁舎になっている。

 取材も報道もしない紳士協定

 そのうち他社の記者も五月雨式に集まってきた。次長が今まさに、刑事たちが犯人逮捕に行こうとしている恐喝事件の概要を私たちメディアに説明した。

  • 日本信託銀行国分寺支店長宛に、風呂敷と脅迫状を同封した手紙が送られてきた。

  同封の風呂敷に現金100万円(300万円ともいわれるが真相は不明)を女性行員に持たせ、 

  指定の場所に午後5時に持ってこい。もしそれをしなければ、巣鴨にある支店長の家を爆破する。

  • 被害届を受けた三鷹署は、女子行員になりすました婦人警察官が私服で風呂敷包を抱えて指定の場所にこれから行くという。周辺には、私服刑事を多数張り込ませ、現金を受け取りに来た犯人を逮捕するという算段だ。
  • 脅迫状の文言は、稚拙な内容であり、いたずらか世の中を騒がせて楽しむ「愉快犯」の可能性が強い。

 次長から説明を聞いた各社の記者たちも、いたずらか愉快犯という見方に傾き、取材も報道もしないという三鷹署の希望を受け入れることにした。いわゆる当局とメディアの紳士協定である。

日本信託銀行国分寺支店に送られてきた脅迫状

 人質を取った誘拐事件のような人命をかけた犯罪の場合は、報道管制として各社と警察当局と正式な協定を結ぶことがあるが、このような重大事件とは全く違うという見方だった。

 メディア各社のサツ回りは、次長の周りでどうしたものかと話し合った。報道機関が動けば、犯人が異変に気付いて取り逃がす危険が大きい。事件が決着するまで取材活動をしない方がいい。ただしこの事案については、三鷹署はしかるべき時期にメディアに広報するという希望を伝え、双方が納得して「紳士協定」を口頭で結んだ。

 午後5時ころから9時ころまで内密捜査は続いたが、犯人は現れない。三鷹署も9時ころでこの日の捜査は終わったとメディアに発表した。署の次長席の周辺でたむろしていたサツ回り記者は、三々五々散っていった。

 それから12時間後の12月10日午前9時過ぎ、3億円事件が発生した。日本信託銀行国分寺支店から東芝府中工場の従業員4525人のボーナスを積んだ現金輸送車日産セドリックが、通称学園通りを走行中に後ろから追い抜いた白バイに停車を命じられた。運転席の窓に隙間を作ると、白バイ警察官は「お宅の支店長宅が爆破された。この車にも爆弾が仕掛けてあると通報があったので調べる」と言った。

 セドリックに乗っていたのは銀行員4人であり、前日から風呂敷に包んで現金100万円を持ってこいという脅迫事件のことは、よく知っていた。白バイ警察官の言葉に仰天したのは言うまでもない。

 こうして事件は勃発した。

つづく

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