逝きし世の面影(渡辺京二/平凡社ライブラリー)

本の紹介

著者、渡辺京二氏は在野の日本文化研究家であり、すでに2022年に逝去されているが、この『逝きし世の面影』は1999年に和辻哲郎文化賞を受賞した名著である。平凡社ライブラリーに収録されるまで、長く絶版状態で再版を希望された作品であった。しかしその平凡社ライブラリー版もすでに絶版で、入手困難となっている。

日本の近代史を研究していた著者は、「昭和の意味を問うなら開国の意味を問わねばならず、開国以前のこの国の文明のありかたを尋ねねばならぬ。」という石原莞爾の言葉を引いて、開国によって失われてしまったかつての日本の「文明」の素描を残そうと試みた。

「私はいま、日本近代を主人公とする長い物語の発端に立っている。物語はまず、ひとつの文明の滅亡から始まる。」という文章から始まるこの著作は、

「実は、一回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだのだった。それは、江戸文明とか徳川文明とか俗称されるもので、18世紀初頭に確立し、19世紀を通じて存続した古い日本の生活様式である。」と続く。

泰平の徳川の世を経て醸された芳醇な文明が、確かに開国前の日本にはあった。

その姿は、明治以降西洋文明を吸収し、乗り越えるのに必死だった日本の知識人にとっては、遅れていた恥ずべき世界でありこそすれ、称賛の対象とはなり得なかった。

しかし、幕末から明治初期にかけて日本を訪れた様々な外国人、ペリーやハリスを始めとした外交官や、世界漫遊の旅の途中に立ち寄ったイザベル・バード、また大山捨吉の盟友であり日本の女子教育にも尽力したアリス・ベーコン等々、チェンバレン、モース、ポンペなど後世にも知られた外国人は、開国前後の日本について多くの著作を残している。

それらの日本滞在期を丁寧にひも解き、かつての日本にあった「文明」の美しさ、暖かさ、特異さを浮き彫りにしてゆくのがこの本の趣旨である。

章立ては、「簡素と豊かさ」、「親和と礼節」、「自由と身分」、「裸体と性」など多岐に亘る14章によって成り、かなりの大著である。

参考文献は、英語文献が21、邦語文献に至っては優に100を超える。

以前より、世界を漫遊した女性探検家イザベラ・バードの著作の抜粋などを読み、明治初期の日本人が、今とはずいぶん違って人懐こく、人を疑うことを知らず、金銭にも無頓着な様を知り、興味を覚えていた。

当時の日本人にとっては、あまりにも普通のことだったので、あえて書こうとしなかった日常にまつわることごとに、日本のかつての「文明」の真髄があったと著者は言う。

当時としては世界最大の100万を超える人口を有する江戸が、どれだけ美しく、一つの庭園と見まがうような田園に囲まれて存在していたか。

農家の藁葺き屋根には、いちはつの花が植えられ、綺麗に刈り込まれた生垣があった。

西洋文明が到来する前の閉じられた国日本では、小間物屋が軒を並べ、ありとあらゆる器具(農具、台所用具、装飾品など)が全て木と紙と竹で繊細に形作られていて、訪れた「文明人」たちはあまりの見事さに店ごと持って帰りたいほどだったと言う。

ヒュースケンというハリスの通訳として働いたアメリカ人は、1857年の日記に次のように書いた。

「いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。この国の人々の質僕な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪意をもちこもうとしているように思われてならない。」

オランダ医師ポンペは、日本に対する開国の強要は、十分に調和のとれた政治が行われ国民も満足している国に割り込んで、「社会組織と国家組織との相互関係を一挙に打ち壊すような」行為に見えた。

徳川の政治体制が江戸末期に行き詰まり、終焉を迎えつつあったことは自明であるが、開国以前の日本がいかに美しく調和が取れ、人々が幸福に暮らしていたかをこれらの外国人は語り、その「文明」が失われつつあることをすでに予見し嘆いている。

この著作全体を読むと、開国前の日本にタイムスリップして、諸国の様子を眺めてみたかったという強い思いに駆られる。

最近の朝日新聞の書評欄でも、渡辺氏の『私の幕末維新史』と『私の明治時代史』が取り上げられていた。

様々に移りゆく世界情勢の中で、日本の立ち位置を見極めるためにも、日本の国の成り立ち、かつて存在した日本「文明」の姿を知ることは必須であると思うのである。(千)

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