<第39話>大胆な交通行政 都心3区全面駐車禁止

記者馬場錬成一代記

 夜になると自宅に押し掛ける

 筆者の担当は警視庁の防犯部と交通部になり、早速、その日の夜回りから活動が始まった。警視庁の取材は夜になって警視庁の刑事や幹部の自宅に押し掛け、雑談を交えて取材する慣行があった。自宅まで押し掛けられる方は迷惑だと思うが、それが慣行になっていた。むろん誰の家に行くかは、極秘であり、そこで聞いたことも守秘義務をきちんと守ることで理解をいただいていた。

 庁内でたまたま夜回り先の刑事と出くわしても、双方何食わぬ顔ですれ違う。他社が回っている夜回り先には行かない「紳士協定」があった。文書化などしていないが、事件記者はみなそのルールを暗黙の中で守っていた。この慣行取材は、今でも続いているはずだ。

 津田武徳・交通部長の言葉に感動

 津田交通部長の官舎に夜回りに行くと、いつも歓談が弾んだ。津田さんの包み込むようなお人柄が若いこちらの心にも伝わってきた。津田さんは巡査から「タタキあげ」た方で、60年安保闘争時代から主として警備分野で実績を残し、東大の安田講堂事件の終焉の時の警視庁の総合警備本部長を務めて現場の指揮を執った方だった。そのとき筆者は、サツ回り記者として、安田講堂周辺の過激派学生の取材で飛び回っていた。

 そんなことを話題にしながら、津田さんの警察幹部としての考えてに引き込まれていった。交通部は「交通違反摘発」が専門ではなく、「交通行政」が主務だと言う。記者会見でも同じようなことを語っていたが、夜回りで膝突き合わせて語り合うと、警視庁の行政施策がよくわかり、こちらの理解度が上がった。

 夜回りには必ず、記者会見で配布された資料を持参し、それをもとに質問していた。資料をカバンから取り出すと、津田さんの表情が変わる。夜回りに会見の資料など引っ張り出す記者はいなかったかもしれない。大体は内偵捜査の進捗状況を問わず語りに聞き出すか、捜査状況のヒントをつかむための質問攻めが多い。しかし交通行政には内偵も捜査もなかった。そういう点で、筆者には向ていた。牧野拓司・社会部長が「交通行政をカバーするため、2人体制にする」と語ったということが、わかるようになった。

 都心3区全面駐車禁止という荒業

 交通行政とは言うものの、都心3区(千代田・中央・港)の昼間、全面駐車禁止という荒業は、警察だからできることだが、これを聞いたときは驚き、そして交通警察の真意を知った。

 都内はどこもかしこも車だらけでマヒ状態が続いていた。違法駐車が蔓延しており、警視庁は特にひどかった都心3区の昼間の全面駐車禁止を打ち出し、営業車や配達車の実働の調整や駐車場設置の整備など、大きなきっかけを作り、今に続いている。

 当時、高度経済成長期に入っており、車社会が急速に広がった。都心部はどこも、交通渋滞がひどく、都心部から羽田空港に行くとき、渋滞に巻き込まれて飛行機に搭乗できなかったという話はよく聞いた。

 全面駐車禁止には、立場も業種も関係なく、商店への配達でも駐車することが出来ない。取り締まりには、白バイやパトカーを目立つように配置し、徹底していた。夜には駐禁を解除するが、この施策は交通事故減少にもつながっていく。

 スピード違反取締看板作戦

 同時期に進めたのはスピード違反取締もそれまでのやり方を変えた。「スピード違反取締中」とカラーで描いた大きな看板を立て、警察官や白バイを配置する。繁華街の渋滞を抜けたとたんに、この立て看板が出てくる。実際には摘発しないで、立て看板だけというものが多い。しかしドライバーは目立つ看板を見たとたんスピードを抑える。

 この看板はダミーであり、実際には取締りはしない。パトカーも「休憩」しているだけで、出動の機会はほとんどない。ドライバーは、看板と白バイを見たとたん、慎重運転に切り替えるので、交通事故件数は減少に転じた。高速道路のスピード違反を写真撮影して摘発する装置でもダミーを多数設置して、交通事故防止に大きな効果をあげた。それ以来、今でもこのダミー戦略は続いている。

 警視庁は陰で「ダミー作戦」と言っていた。看板ダミーを掲出し、ドライバーに慎重な運転を無言で警告するものだ。この仕掛けがうまく機能し、重大事故減少につながっていく。高速道路でも同じようなダミー戦略をした。カメラを内蔵したスピード違反取締ボックスを、これ見よがしにあちこちに配置し、ドライバーに見えるようにした。しかし全てにカメラが入っているわけでなく、ダミーが多かった。しかしこのボックスが目に入ったとたんにスピードを抑える。結果として事故も減少に転じた。

 この装置はアメリカからの輸入と記憶している。オービスと呼ばれているスピード探知機だが、今では全国に普及して威力を発揮している。ダミーと本物と区別がつかないが、ダミーは発砲スチロール製で製作費は数千円程度。本物は自動的に駆動するカメラ装置が入ったものだが外見からはウリ二つだから見分けがつかない。目立つように配置されていればドライバーは、それを見つけたとたんに運転を自粛するという仕掛けだ。

 津田部長の言葉に感動

 夜回りで津田部長から様々な知識を教えてもらった。筆者は、一年前までは先端科学研究者を取材して、話をとことん聞いて原稿にすることで鍛えられたが、その手法がこのときも役立った。つまり警視庁の行政施策のねらいをきちんと理解し、それをニュースとして伝える記者としての活動だ。

 津田さんは「マスコミの皆さんなくして、警察活動は成り立たない」ということを何度も語った。よく聞いてみると、警察は犯罪捜査をする際にマスコミ、つまり新聞・テレビの報道なしには成り立たないという。容疑者の全国指名手配にしても、一日でマスコミが全国に知らせてくれる。警察網だけでは、どんなに頑張っても数か月かかるという。「国民の理解と共感はマスコミの皆さんのお陰で獲得できる。そのためにも、正確に理解していただくことが大事です」というようなことを語った。 夜回りを終えて帰る際、津田さんは必ず大きな下駄をはいて、車を止めてある官舎の裏口まで見送りに来た。その光景は筆者の記憶に生々しく残っている。

 津田部長だけでなく、大堀太刀男交通部参事官(後に警視総監)、石川総務課長、畔柳第一・交通規制課長、竹内交通部管理官などの席を毎日、回って歩き、同じような話を聞いては感心し、知識が蓄積された。特に竹内管理官には、原稿作成メモをこっそりと見てもらい、正確に理解しているかどうかを「判定」してもらう。筆者が「デスク」と呼んで頼りにし、竹内さんも「大事な役割で困るよ」などと言いながら懇切丁寧に見て、感想を語ってくれた。信頼関係があれば、あけすけに感想を語り、それが正確性に結びついていく。取材者と被取材者の真の関係を学んだ。

 ある時、キャップと雑談しているときに交通行政の話をしたら「君が今言っていることを、そのまま解説に書け」という。紙面の中面に「今日の断面」という解説部のページがあり、ニュースを突っ込んで解説する場所になっていた。執筆者の名前が出る唯一のコーナーであり、中堅、ベテラン記者が書いていた。そこに杉田幸雄キャップが売り込み、筆者は3回ほどテーマを変えて書いた。

 杉田キャップは、「君の書き方では解説部の原稿になっていない」と手取り足取り、原稿の書き方を指導してくれた。解説記事とはこういう風に書くのかと勉強になり、これは大きな自信につながった。それから20年後に解説部デスクになりその後、論説委員にまで上り詰めたが、このときが運命の出会いであった。

津田武徳さんが上梓した安田講堂陥落を指揮した当時の記録・ドキュメント。いま広げてみると津田さんの語り口と声が聞こえてくるようだ。調べると今でも、古本で入手できるので掲出した。この本に書かれていることは、津田さんの話の中にもよく出てきたことを思い出す。

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