<第40話>噴出した公営ギャンブルの八百長事件

記者馬場錬成一代記

 次々と摘発された八百長選手と暴力団

 1970年代に入ってから、戦後復興期を脱出した日本は、高度経済成長期に入り、社会全体が沸き返っていた。カラーテレビの普及と共に娯楽番組が増え、プロ野球の人気がいよいよ高まっていった。手軽なギャンブルと言えばパチンコが一番だったが、競輪、オートレース、競艇、地方競馬、中央競馬など公営ギャンブルも全国どこかで毎日のように開催されており、庶民の娯楽として広がっていった。公営ギャンブルが急速に広がったのは、主催者の自治体が資金を稼いで社会資本の整備に投与するためでもあり、ギャンブルを管理する体制が未熟だったことも不正を招く大きな原因となった。

 警視庁記者クラブで、交通・防犯をカバーすることになり、先輩のK記者と手分けして夜回り取材を始めた。下の表は、1970年代の前半、警視庁など全国の警察が摘発した公営ギャンブルの不正事件をまとめたものだ。

 筆者が担当したのは、この表にある1972年から73年にかけた1年ほどだったが、競輪、オートレースを中心に全国で八百長事件が頻発した。取材した八百長競輪を主体に振り返ってみた。 

 暴力団の最大の資金源となった八百長競輪

 組織暴力団の監視と摘発は、警視庁刑事部捜査4課の管轄だった。それがなぜか防犯部に回ってきた。多分、従来の4課では手が回らず、公営ギャンブル関係は防犯部に押しつけたものだろうか。

 競輪の八百長がささやかれ始めたころから、夜回りでも内偵捜査の話題を出して、警視庁の出方を探っていた。不正の手法は単純だ。競輪の1着、2着の的中車券を選手と外部暴力団が相談して決め、その車券を大量に買って儲けるというものだ。暴力団が選手を抱き込めば、簡単にできるが、車券を買い、現金化する過程を上手くやらないと当局にバレてしまう。そこに介在して不正を成立させるのが車券師というブローカーである。暴力団組織がチームワークで不正をするのに向いていた。

 ブロックサインで外部に連絡

 レースには10人内外の選手が出走するが、このうち主力の2,3人が不正を談合すれば大体成立する。レース前は一か所の宿舎に集められ、外部との連絡は遮断される。がしかし、レースの1日前に発表される出走メンバーが決まると、不正談合が選手間で取り交わし、それを外部の暴力団に伝える。その手段はどうしていたのか。

 夜回りのときデカさん(刑事)から「出走直前に競輪場に出てきたときに、スタンドにいる暴力団に伝えるんだ」と言われても、その方法は見当が付かなかった。

 それはプロ野球でもよくあるブロックサインを発する方法で、伝えるものだった。選手が自転車のハンドルの握る場所、握り方を左右の手の組み合わせを決めておけば、「行くぞ」「今日はやめるよ」くらいは伝えることが出来る。たとえば右手でさりげなく右足首のあたりを触るだけでもサインになる。何気ない動作に見えても、事前に取り決めさえしておけば「今日は3着以下に落ちる」くらいのサインは簡単にできる。

 レース前に選手が一斉に出てきて会場を自転車で一周して回る。そのとき自転車に乗る・降りる・自転車を止める行動をごく自然にふるまう。レースが始まる前のこの一連の動作の中で、ブロックサインを選手が出す。スタンドにいる暴力団がそれを読み取って車券の番号を決める。例えば、左手で額の汗を拭う動作だけでも、サインになる。

 予想紙で、A選手が本命、B選手が対抗と出ていれば、A、B中心に車券が売れる。このAとBが3位以下に消えてCがトップになれば、高配当の車券になる。A、B選手が、「着外に出る」というブロックサインを出せば、本命・対抗をはずした車券を買えばいいので、当たりやすい車券を買うことが出来る。

 サインを読み取った暴力団幹部が、車券師に買うべき車券番号を伝え、車券師が全国にある場外車券売り場で待っている仲間に伝えて買わせる。一か所でやるとアシが付く危険があるが、リスクを分散すればバレにくい。

 この八百長劇の中心にいるのが車券師であり、資金を用意し、買い目の車券の分散購入の指令を全国の仲間に出し、儲けたカネは関係者に配分し、選手にも応分の謝礼を支払う。競輪の賞金を遙かに上回る謝礼がなければ選手も乗ってこない。53歳の女車券師が逮捕され、話題になったこともあった。 

 往時の後楽園競輪の様子をAIが作成した。スタンド内側の場内は、さながら社会の場末のたまりのような様相であり、あちこちで10円をかけた丁半の博打の輪ができていた。地面を覆い尽くした外れ車券を片っ端から拾い上げ、当たり車券を見つける「地面屋(地見屋とも言った)」が跋扈し、にぎり寿司、いなり寿司を1個10円で売って歩くおばさんたちもいた。雑踏する博打場には、社会の底辺で生きる人たちがうごめいていた。取材で初めて競輪場に入ったとき、この光景を見て本当にびっくりした。

 史上最大の八百長競輪を取材・報道する

 警視庁クラブ担当になってからの最大の事件は、八百長競輪摘発事件だった。1972年10月5日付け読売新聞社会面に、史上最大50人を逮捕、8人を指名手配という記事を書いた。しかし、紙面の扱いは、3段見出しで必要最小限であり、世間の話題も「所詮は博打場の不正だろ」という感覚であり、週刊誌などの後追いも地味だった。夜回り取材で苦労する割に、地味な扱いであり意気が上がらなかった。

 この一連の事件だけで40レース、総額16億円にのぼる被害額であり、暴力団の最大の資金源になっていた。

 八百長オートレースにも波及

 競輪八百長は、同じような手口でオートレースにも波及して、多数の逮捕者を出している。オートレースは、埼玉県川口市でも開催されており、筆者がひところ住んでいた地域にあったので、よく見物に行った。見ているだけでスリルがあり楽しかった。社会人になってから一度だけ車券を買ったが、これがビギナーズラックで配当金2700円と大当たりしたことがあった。

 川口オートレース場のカラー画像をAIに作成してもらった。エンジンの爆音と硝煙の独特の匂いが好きだった。中学の同級生のお兄さんにオートレース選手がおり、よく世間話をした思い出がある。

 公営ギャンブルの不正は70年代に絶え間なく摘発され、筆者が事件担当から離れても全国で摘発が続いた。1975年の地方競馬の笠松競馬を舞台にした大規模な八百長事件は、場外のノミ行為(私設で不正に馬券を販売)グループの摘発から、暴力団・厩務員・騎手らが芋づる式にあげられ計23回の八百長で17人が逮捕されている。

 岐阜新聞の記事によると、1975年の全国の公営ギャンブルの八百長事件は、競馬だけで45件、54人が摘発されていると言う。高度経済成長期のあだ花のように発生した事件であり、ギャンブルを主催する地方自治体などの選手宿舎の監理、通信遮断、行動監視、資産調査などの管理体制も整備されておらず、そのすきに暴力団が入りこんでいった。当時の選手間の人間関係もいまよりもずっと濃厚であり、「勝たせてやる」、「先輩に花をもたせる」という意識があったことも不正を容易に生んだ時代だった。

 余談になるが、筆者の小学校時代からの竹馬の友に、れっきとした暴力団員がいた。彼の家の後ろの住人が暴力団員だったので、筆者を含めてよく遊びに行った。3人兄弟が皆、団員であり面白いお兄さんたちだった。彼はその縁で高校を中退して極東組に引き込まれてしまった。この暴力団はテキ屋(主として街頭の物売り、お祭りなどの出店)が主体であり、荒っぽいことはしていなかったと思う。指定暴力団になっていたので、賭博開帳などの不法行為もやっていたのだろうが、大人になってからも出会えば、ごく親しく話ができた。

 友人からは極東組の機関誌「限りなき前進」をもらったり、組員に正式に入ったときの血判状なども見せてもらったりして、彼が病死するまで親友の付き合いだった。彼は、金魚すくい、たこ焼き、ゴムチャボ(ゴム製おもちゃ)などの屋台や露店をやっていた。金魚すくいでは、容易に破れない紙製のすくい網を別途持っており、いくらでもすくえるので、それを使って客を呼んでいた。客に渡す網は、2,3回使うと破れるような紙質に変えており、その作り方を聞いて感心した。どこにでも商売のノウハウはあるものだ。「企業秘密」なので、ここには書けない。

 40歳代ころからは「若い衆」にやらせていたが、じん臓を悪くして亡くなった。父親もじん臓病で亡くなっている。今でもお祭りで露店を見ると「ひろむちゃん」が屋代の後ろから出てくるのではないかと思うことがある。小学校時代からの無二の親友は、妹と弟思いの優しい男だった。

 

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