デパートを騙して純金を取り込む詐欺事件
この事件で被害にあったのは、三越、高島屋、伊勢丹、松屋、松坂屋であり、都内のデパート業界トップ5店。いずれも東京店の外商部を舞台にした詐欺で、摘発された時点で被害総額約4億円。純金地金の取引が騙しの道具になったという特異な詐欺事件で、純金地金とは、簡単に言えば金の延べ棒だ。こんなものがデパートで販売されていることは驚きだった。
外商という特別任務の部署
デパートの外商とは何か。まずそこから勉強が始まった。このネタはもともと夜回り先から出てきたものだけに、担当する警視庁防犯部のデカさんからは聞けない。読売新聞広告局にいた同僚から取材が始まった。紹介されてあるデパートの外商部長の自宅に行ったときは驚いた。玄関を入ると、大きな虎の毛皮のお出迎えだ。やたら動物の毛皮や剥製が家中を取り巻いている。応接室に入ると、今度は骨董類の装飾品、置物が博物館のように飾ってある。
こちらの驚きの様子を見定めると「これは趣味で集めたものではない。みんなもらい物なんだ」と主の部長は言った。それはウソだろうと思った。顧客が部長の趣味を見透かして、歓心を買うための贈り物なのだろう。同僚に聞いたら、同じ意見だった。この種の収集家として有名だったという。
外商は高級品、宝飾品、美術品販売とか法人営業を担当する、商社のような機能を持っていた。そのために「信用」を商品として扱うような部署でもあった。
外商部の取引慣行につけ込んだ詐欺師
当時は現在のような本人確認、与信管理調査、コンプライアンスなどの考えはなく、外商部の仕事は、人からの紹介が極めて重視されていた。政治家、実業家、著名人などを始め、銀行など金融機関、上場企業役員、有力顧客からの紹介が信用の第一だった。
信用販売は、商品を先に渡し後日決済も普通に行われていた。特に宝石類、高級時計、高価な骨董品や絵画、美術品、純金地金などは、数百万円から数千万円の取引につながることもある。税金対策もあっただろう。店頭では目立つから買わない。高価で秘密めかした売買は、外商担当者の裁量で商品が動いていた。そこに詐欺師がつけ込んでいった。
純金の浴槽を10個つくるという触れ込み
逮捕された詐欺師は、旧陸軍幹部上がりで四国地方では土地ブローカーとして名を広げ、観光事業も手がけていた。温泉地の客寄せのために、純金の浴槽を作るという。純金の浴槽に浸かると長生きすると触れ込んでいた。最初は現金や手形で決済し、途中から手形だけになり、それが不渡りになって焦げ付いたところで悪事が露見した。
純金地金は、現金と同じ価値があると言われる。購入には手形や後日決済を利用し、商品だけ取得して代金を支払わない。単純な手口だが、外商はみな引っかかった。10個つくると言っていた純金フロは、1個も作られなかった。

1970年代の日本橋三越本店は、現在とほぼ同じ外観だった。建物自体は1935年(昭和10年)に増改築工事が完成しており、1970年代にはすでに「老舗百貨店の象徴」として知られていた。まだ超高層ビルが少なく、日本橋川や首都高速が見える時代の雰囲気が残っている。
三越の岡田社長から取材
内偵捜査が着々と進み、夜回りでも「そろそろ字(原稿)にしたい」と申し出るまでになった。筆者だけでなく、各社防犯担当記者が知るところとなり、どこかが特ダネで抜くというムードではなくなり、警視庁の発表を待つという雰囲気となった。
最後の詰めの取材で、被害額が一番大きかった三越の岡田茂社長に取材を申し入れ、日本橋本店にあった社長室に行った。応対に出てきた4,5人の若い女性は、みな美人揃いだったことは今でも記憶にある。社長には、内偵捜査の話をして、最高責任者としてのコメントを求めた。
内偵を承知していたのだろう。被害額の概算数字まで明らかにして、捜査に協力して真相を解明したいというようなことをよどみなくしゃべった。岡田氏はそのころから「岡田天皇」とも呼ばれ、反社長派を次々と追い落として社内の権力を掌握していた。不祥事を取材にきた事件記者の質問にも、臆することなく堂々と受け答えする態度に度肝を抜かれた。
社の幹部から「上がってこい」という連絡
取材を終えるとすぐに警視庁のクラブに戻った。日本橋から桜田門の警視庁まで車で10分程度である。ラッシュにもまれても、20分はかからなかっただろう。読売新聞のブースに戻ると同僚記者が「社の幹部から至急、上がってこいと連絡が来た。すぐ行け」と言う。幹部の名前を聞くと、社長直属にいる有名な人で、用件はピンときた。「三越から手を回したな」と思った。
当時、新聞報道を「押えて」掲載を免れたという話を聞いたことがある。筆者はそのような事態に一度も合わなかったが、あり得る話である。三越の広告は、新聞社にとってドル箱である。暗に広告出稿を絡ませて記事掲載を押えにかかっても不思議ではない。豪腕・岡田社長ならそのくらいやるだろう。
社の幹部の前に行くと「三越に取材に行ったそうだが、どんな内容か」と聞かれた。詐欺事件の概要を説明し、内偵捜査の状況を説明し、各社一斉に掲載する時期になっていることも説明した。幹部は「分かった」と言っただけで筆者は帰された。20分程度だった。
それから2日後の1973年1月7日付け読売新聞社会面トップに、「4億円の純金サギ摘発 一流デパート軒並み 金のフロ作ると手形乱発」の大見出しで掲載された。警視庁の公式発表はなかったので、独自取材内容を固めて原稿を作ったが、いくつかの社も、同じ日に掲載した。防犯部長への夜回りで各社、鉢合わせになり、暗黙の中で掲載に踏み切ったものだった。部長の夜回りは、何かを掲載する直前に「確認」のためが多かった。取材して調べた内容を確認することが多いが、部長は立場上ウソをつけないから、こちらが質問しながら事実関係を確かめていく。その受け答えの中から、真実を嗅ぎ取る取材方法だった。
「なぜだ!」が流行語になった岡田解任事件
三越の岡田社長は、銀座三越の店長時代に「ヤング」路線で売り上げを急進的に伸ばし、社長就任では、前任者より19歳若返った人事として評判を呼んだ。新しい販売戦略で業績を伸ばしたが、「押しつけ販売」などと言われるような行き過ぎもあり、公正取引委員会から優越的地位の濫用として審決(1982年6月)を受けることもあった。愛人の竹久みち氏が経営する企業に不正利益供与も明るみに出るなど権勢をほしいままになり、役員間で「岡田おろし」の準備が水面下で進んだ。
1982年9月22日に開催された取締役会で岡田社長は腹心の専務らよって解任させられた。14人の取締役全員一致の解任劇だった。そのとき岡田氏は「なぜだ!」と怒鳴ったが、顧問弁護士が呼び出され、解任手続きに瑕疵がないとの説明があり、解任が成立した。
この時に岡田氏が発したとされる言葉「なぜだ!」は、この年の流行語となった。

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