「美術の物語」(エルンスト・H・ゴンブリッチ著、 田中 正之 (著), 天野 衛 (翻訳), 大西 広 (翻訳), 奥野 皐 (翻訳), 桐山 宣雄 (翻訳), 長谷川 宏 (翻訳), 長谷川 摂子 (翻訳), 林 道郎 (翻訳), 宮腰 直人 (翻訳) 、河出書房新社)

本の紹介

原田マハがこの本について、「アートは君の友だちなんだよ。私にそう教えてくれたのは、この本だった」と絶賛していて、美術史を専門的に学ぶきっかけになったと書いていたので、600ページ超えのこの大著を入手し、いつかは読もうと常に机の片隅に鎮座させていた。

しかしこれだけの大作で、しかも大きくて重いので持ち運ぶことも出来ず、そして美術史についての著作という性質上、継続して読み進めなければ意味がない。

そうこうしているうちに3〜4年は経ってしまったのだが、今回ちょっとまとまったお休みが取れて、しかも外出もままならなかったので、ここ幸いとこの本を読破する機会とした。

作者のゴンブリッチは、オーストリア生まれの美術史家で、ロンドン大学の古典学科教授を長く務め、多くの受賞歴とナイトの爵位まで得た、20世紀最大の美術史家と言われる。

この著作も初出は1950年だが、その後版を16版まで重ね、それ以降のアートについて何度か書き足している。

全世界で800万部を超えるベストセラーと言われるのは、この著者が中学生向きに書いたと語っているように、平易なわかりやすい文章に徹しながら、それでいて美術に対する深い知識と情熱、そしてそれぞれの作家や主義を結ぶ鮮やかなナラティブを展開してくれていることに根拠があるのだろう。

私も幼い頃から美術が好きだったので、その都度、好きな画家の画集の文章を読み込んだり、美術史の本を流し読みしたりはしてきたつもりだったが、この本の中で指摘される事実に、目から鱗の知識が数多くあった。

まず、ギリシャ・ローマにおいて、あれだけ完璧に作成されたミロのビーナスやサモトラケのニケのような彫刻の技術が、ゲルマン民族を始めとする蛮族の侵入によって徹底的に破壊され、その技術が跡形もなく失われてしまった、という事実がある。

中世暗黒時代というのは、それから15世紀のルネッサンスに至る約1000年間で、その間には遠近法も短縮法も忘れられて、ただただロマネスク寺院の内部の祭壇や壁に、現在から見たら稚拙とも思われる平面的な、聖人やキリストの絵を描き継いで来たのだった。

そしてルネッサンスの時代が訪れた時、ミケランジェロやダヴィンチは、失われてしまったローマの文献や彫刻や建築をひたすら調べて(絵画はほとんど失われてしまっていたが)、いかにしてリアルな人間の形を形成するのか、という課題を研究し続けてやっと、ギリシャ・ローマの時代の水準に戻ることができたのである。

ゴシック(Gothic)とは、ゴート族(Goths)から派生した言葉で、ギリシャローマ文化を破壊した蛮族に由来し、最初は野蛮なゴート風という意味でゴシックと呼ぶことになったという。

「中世暗黒時代」という言葉は知っていて、封建的なカトリック教会の締め付けが強かったので科学技術がほとんど発達しなかった時代、という知識はあったが、美術の面でもそこまでの破壊と再生(Renaissanceルネッサンス)があったということは、読んで初めて認識された。

そして、カトリック寺院は中世において、文字通り社会の中心であり、人々がいまだ粗末な木造住宅に住んでいた時代にも、ゴシック建築の大伽藍を建設するため、それこそ村をあげて寄進を募り、実際のレンガ積みなどの労働にも協力しあって作り上げて行ったのだろう。

ヨーロッパの集落の真ん中には必ず教会のとんがり屋根と十字架があり、日曜礼拝ともなれば人々は着飾って誇らしげに村の教会に集まったのにも合点がゆく。

日本における寺院の成立とは全く背景が異なることを知った。

それから起こった宗教改革の波は、ドイツのマルチン・ルターから始まり、腐敗したカトリック教会を否定して新教のプロテスタントを産むこととなるのだが、それと同時に、カトリックが必要とした教会の大伽藍や祭壇画も偶像崇拝として拒否されたために、それ以降の画家たちは大スポンサーを失って、新たな顧客を開拓せざるをえなくなった。

その頃、東インド会社を擁するオランダ(ネーデルランド)では、新興の商人たちによる市民文化が台頭しようとしていて、その邸宅に飾る肖像画や風景画などの需要が高まり、かのフェルメールやレンブラントの活躍を待つこととなる。

また、少し前からゴッホの書簡集を集中して読んでいたのだが、その中でゴッホがドラクロワをひたすら賛美する箇所が多くあり、何がそこまでゴッホを感激させたのかよくわからなかったのだが、これを読んで、ドラクロワの美術史における役割がよくわかった。

ダヴィンチ以降、ヨーロッパでは遠近法とスフマートという輪郭線を消す技法によって、ひたすら事物をリアルに描くことに努めて来たのだが、ドラクロワにいたって、ある程度遠近法などは犠牲にしつつ、色の鮮やかさによって絵画を際立たせる技法への変革が起こったのだ。

そうして見ると、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」では、かつてないほどのドラマチックな色彩と躍動感のあるポーズが際立っている。

残念ながら我が日本の北斎は、「かの偉大なる北斎」と称されながらも、割かれたのはたった半ページで、日本の画家はもう一人安藤広重が挙げられたきりだった。

「美術史」は、どうしても西洋中心に研究されてしまうことは否めないのだろう。

しかし、日本の浮世絵が印象派の画家に多大な影響を与えたことはまぎれもない事実で、その少し前に発明された写真技術の普及によって、よりリアルに描くことよりも絵画にしかできない表現を開拓することが求められることとなった。

その際、恰好のお手本となったのが浮世絵で、そこには遠近法もなければ輪郭線を消す意志もなく、それでいながら大胆な構図と平面的に塗られた色彩の鮮やかさが際立って、マネやモネを始めとして、ゴッホやゴーギャン、マティスにまでも新境地を開く手助けとなったのは確かである。

浮世絵が最初に注目されたのは、1867年の万国博覧会で日本美術が注目されたこともあるが、それに伴う漆器や陶磁器の輸出の際、詰め物として使われた安価な浮世絵が、西洋人の眼を驚かせたところから始まっているというのも面白い。

この本を読みながら膨大な量のメモができてしまい、ハッとさせられた作品は枚挙にいとまがないのだが(西洋建築の様式の推移、セザンヌの研究から立体主義への移行、ゴッホが表現主義の先駆けとなったこと、など)、ご興味のある方には、ぜひ一読をお勧めする。

古代から現在に繋がる脈々とした美術の流れが、明確な表現をもって鮮やかに描き出され、芸術作品が新たな光で輝いているのが感じられるであろう。(千)

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