<第43話>シートベルト装着キャンぺーンを展開

記者馬場錬成一代記

 交通行政を軌道に乗せる

 スピード違反、駐車違反、信号無視・・・。交通違反で摘発される事案は、ほとんどが道交法違反で警察官に捕まり、切符を切られ、強制的に教習所での研修を指示されることが多い。警察の摘発・取締りである。

 津田武徳・警視庁交通部長(後警視監)、大堀太千男・交通部参事官(後警視総監)の強力コンビに石川総務課長、畔柳交通規制課長ら強力なスタッフが「交通行政」を掲げて取締りから指導・PRへと舵を切り、軌道に乗り始めた。1972年からである。

 都心3区(千代田、中央、港区)の全面駐車禁止に加えて、スピード違反取り締まりを止め、シートベルト装着キャンペーンを始めたのだ。

 1960年代から始まった車社会の急拡大で、交通事故死者もうなぎ上りに増加し「交通戦争」という言葉まで生まれた。

交通事故死者数の推移

 この表でも分かるように、1970年の交通事故死者数は、2025年の約7倍もあった。信じられない数字である。死者の中には、一家の大黒柱だった男性であるため、残された遺族が悲惨な目にあっているとして、交通事故遺児を救おうという支援活動も始まった。

 筆者は、交通行政という言葉にひかれて、警視庁がどのような活動展開をするか日夜、取材に駆け回った。その中でも「これだ」と思ったのは、シートベルト装着キャンペーンだった。

 シートベルトは無用の長物?

 当時すでに、シートベルトは全ての車に装備されていた。ところがほとんどのドライバーは、締めていなかった。筆者らは、毎日、ハイヤーを使うので、ドライバーにシートベルトを使っているかどうか訊いてみた。ほぼすべてのソライバーは、使っていないと答えていた。

 そこで警視庁は、「シートベルトは命の綱」とPRへ乗り出した。きっかけは、世界フライ級チャンピオンの事故死だった。

シートベルト装着制度の歴史
内 容
1969年(昭和44年)新車の運転席へのシートベルト設置義務開始
1973年(昭和48年)助手席への設置義務開始
1975年(昭和50年)後部座席への設置義務開始(一部車種から)
1985年(昭和60年)高速道路で運転席・助手席の着用義務化
1992年(平成4年)一般道路でも運転席・助手席の着用義務化
2008年(平成20年)
6月1日
後部座席を含む全席で着用義務化

 シートベルトは設置義務をして50年以上経つが、その間の義務化の経過内容だ。まだ着用は定着していない。

 「永久チャンプ」の称号をもらった大場政夫

 1970年にWBA世界フライ級王座を獲得し、5度防衛した大場政夫(23)は、1973年1月25日、午前11時22分、愛車シボレー・コルベットを運転中に、首都高速5号池袋線・大曲カーブ(飯田橋出入口-早稲田出口間)を曲がり切れず、中央分離帯を乗り越えて反対車線に出たところで大型トラックと正面衝突。ほぼ即死状態で短い命を絶たれた。

 現役の世界チャンピオンの死として世界に広がり、日本国中が若くして逝った英雄の死の悲しみに包まれた。2015年に国際ボクシング「名誉の殿堂故人部門」に選出され、「永久チャンプ」と呼ばれるようになる。

 このときの事故現場の写真を見ていた畔柳規制課長が、「シートベルトを締めていれば助かった命かもしれない」と筆者に語り掛けてきた。課長は海外で起きたシートベルト装着で命が助かった事例を集めており、筆者も提供されていた。

 警視庁はこれを機会にシートベルト装着キャンペーンを始めた。これに乗らない手はない。筆者は早速、白バイやパトカーを追いながら、街頭で装着を指導する光景を取材した。

 意識を変える文化をつくる

 これを読んでいる読者も分かると思うが、警察官に指導されたと言っても、素直に従うことはあまりない。知っているよ、くらいの気持ちでやり過ごし、いずれ忘れてしまって元の木阿弥となる。

 警視庁がドライバーに伝えたのは、事故の障害は一次衝突よりも事故直後に襲ってくる二次衝突での障害が大半だという実験事実だった。乗用車の後部座席に座っていて事故に合うと、衝突直後の反動で、座席から前後に激しくはじかれる二次衝突で大きな障害を受ける。負傷者は、二次衝突での障害が99%と聞いて驚いた。これは、シートベルトを締めるよりない。

 しかし取材してもその成果を紙面に原稿として繁栄するのは難しい。世界チャンピオンの悲劇の事故死でもシートベルトを締めていれば助かったかもしれない程度で一過性のニュース記事で終わる。そのとき筆者は、キャップの杉田幸雄さんにダメもとで社会面での連載を申し出た。杉田キャップは、「なに、シートベルト? そのネタで連載を何回できるかだ」と、予想に反して前向きにとらえてくれた。すぐに「夕刊で上中下の3回だな。あと、解説を書け。面(解説面)は取ってくる」と言う素早い対応だった。

  1973年2月から、読売新聞社会面でシートベルト装着を促すキャンぺーを始めた。最初に社会面でキャンペーン開始の原稿を書き、次いで夕刊で3回の連載を行った。シートベルト装着の連載は、当時のメディアでは初めてであり、遊軍にいた先輩記者から「君らしいネタだな」と冷やかされた。そのころから筆者は、理系で社会部に入ってきたユニークな記者として知られるようになっていた。

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