<第45話>伊達火電建設反対運動に取り組む(上)

記者馬場錬成一代記

 アイヌ語から派生した地名が多数

 北海道転勤は、筆者にとっては、憧れの転勤だった。田中編集部長が引っ張ってくれたことに恩義を感じていた。住まいも自身が住んでいる五輪団地内のすぐ近くの棟を確保して待っていた。五輪団地は、1972年にアジア初の冬季オリンピックが札幌で開催されたときの選手村の宿舎に使ったものを、団地として開放したものだった。当時、団地としてはあか抜けた瀟洒な建築物として評判だった。

 編集部報道課には、優秀な記者が揃っていた。皆さん親切で、折に触れて道内の様々な問題を解説してくれた。最初に戸惑ったのは、北海道独特の地名である。そのころ原稿は電話だけで送られてくる。電話口でしゃべった原稿を、受け手の遊軍記者が原稿用紙に書き写していく。長万部(おしゃまんべ)、留辺蘂(るべしべ)、花畔(ばんなぐろ)、音威子府(おといねっぷ)などと言葉で聞いても、どんな漢字なのか書けない。

 道内には「もんべつ」と言う地名が紋別、門別の2つあり、電話口では「糸もんべつ」、「かどもんべつ」と読み上げてくる。最初は、何が何だか分からないので、ひらがなで書いておき、あとで同僚記者に聞いて正しく直していた。北海道の地名は、アイヌ語から派生した地名が多数あり、独特の地名が散見していた。

 地図を見ながら楽しんでいたが、5年余りの北海道生活で、ほぼすべて地名は正しく書けるようになる。遊軍席で道内の支局や通信部から送られてくる原稿とりをしているうち、学習してしまったのである。手書きすると学習は早い。キーボードを叩いて変換漢字だけに慣れてしまうと、手書きで漢字は書けなくなる。そういう現実をこのころに体験した。

 風光明媚な北海道の公害防止運動・伊達火電問題

 ある日、デスクに呼ばれ「写真(カメラマンのこと)と一緒に伊達市に行ってこい。北海道電力(北電)の火力発電所(火電)建設反対運動が起きている。これからはそっちの担当を頼む」と言われた。原発建設反対運動なら分かるが、火力発電所の反対運動だという。内心、何だそんなものは、すぐに火が消えるだろうと思ったが、実は大変な住民運動に広がっていく。

 カメラマンとジープに乗って伊達市に向かった。3月末になるのに中山峠は厚い雪に覆われており、これを超えて洞爺湖畔へと入っていく。その時の光景は今でも思い出す。森林を切り裂いて突然、真ん中に島を構えた雄大な湖が迫ってきた。洞爺湖である。こんなに美しい湖があるだろうか。北海道の地に来たという実感がわいてきて興奮した。

 息をのむような美しい洞爺湖を見たとき、北海道に転勤してよかったと思った。

 洞爺湖を回り、有珠山と昭和新山を迂回しながら太平洋側に抜けたあたりが伊達市である。明治維新当時、福島県伊達藩から集団移住してつくった街である。太平洋に面して内浦湾があり、豊富な水産資源がある。洞爺湖と有珠山を背後に控え、内浦湾を眼前に構えた海岸地に伊達火電を建設するという北電の計画に、地元の農業、漁業をしている人を中心に、激しい反対運動が起きていた。

 住民たちが被害調査を展開

 畑に出ている農家の人たちに声をかけ、北電伊達火電建設について意見を聞いてみた。発電所ができると、重油火電から排出される硫黄酸化物(SOx)、窒素酸化物(NOx)が農作物に被害を与え、道内でも有数な野菜名産地が台無しになるという。

 作物を聞いてみると、グリーンアスパラ、ピーマン、甜菜、メロン、小豆など10指を超える作物名をたちどころに上げた。そのころ、グリーンアスパラはまだ、東京の市場には出ておらず、珍しいので東京へ送ったことがあった。

 驚いたのは、想定される排煙被害の状況を多くの農家が、独自に学習を始めていることだった。市民活動家や研究者から指導を受けて始めたものだが、当時、一般にはなじみの薄いppm(100万分の1)単位で、公害物質を説明することにびっくりした。

 農家一戸あたりの農地面積も数ヘクタールが普通で、農地には様々な農機具が入り込んでいた。ビニールハウスも規模が大きく、広大な緑が広がる田園風景も、内地(本州方面)の農家とは全く違う印象だった。

 農民が集まる勉強会にも取材に行ってみた。公民館や集会場に集まり、教材プリントを配布して専門家が説明する。一緒に机に座って聞いたが、知らないことが多数書いてあり、非常に勉強になった。配布資料は、毎日、持ち歩いていた。

 なんでもデッカイ北海道は理由があった

 内浦湾は、ホタテの名産地として、当時から有名だった。殻付きのホタテを初めて見たが、サイズが大きいのに驚いた。北海道は、内地に比べてなんでも大きい。動物もそうだ。カラスや鹿も、エゾガラス、エゾシカと呼ばれ、内地の亜種と位置付けられている。

 北に行くほど動物の体が大きくなる法則を「ベルクマンの法則」と呼ばれることを初めて知った。哺乳類や鳥類など恒温動物は、寒い地域に生息する個体ほど体積に対する表面積の割合を小さくし、熱を逃がしにくくするため大型化する。人間もその中に入る。スカンジナビア半島などヨーロッパでも北に行くほど背が高くなっている。朝鮮民族や中国の東北地方出身者は、みな背が高い。逆に南方地域にいる人々は、小型が多い。

 漁業者に話を聞くと、内浦湾のホタテ養殖に火電の温排水が流れ込んでくると、ホタテの生育に悪影響を与える危惧があるという。ホタテは北の貝だからだ。スケトダラ、サケ、カレイ、ウニなど北方系の魚介類が豊富であり、火電建設で自然破壊が進み、漁業に影響を与えかねないという主張だった。

 火電を建てるなら、北海道にはもっとふさわしい海岸線が多数ある。そのころ森進一の「襟裳岬」が流行っていたが、その歌詞にある「・・・・何もない春です」をもじって「なにもない襟裳岬」へ建てろという話である。北海道には、連綿と連なる海岸線が限りなくある。何も風光明媚で漁業の宝庫である内浦湾に建てることはないという話には一理あった。

 来るべき北海道開発に必要な電力確保

 北電にも言い分はあった。1970年7月、政府は北海道の工業生産を飛躍的に増大させるため「苫小牧東部大規模工業基地開発計画(苫東開発)」を策定した。鉄鋼、石油精製など基幹資源型工業を苫小牧地域に集約させる国家的プロジェクトの推進である。

 内浦湾に面した海岸に伊達火電予定地があり、住民たちの反対運動が激しく燃え上がった。

 北電はこのプロジェクトに乗って、この地域に電力供給の拠点の一つとして伊達火電建設を目指したものだった。排煙、温排水についても、公害が発生する心配はないとする科学的データも発表し、農民と漁民には補償金を支払うという条件をだしていた。

 農民・漁民の反対運動は、激しかった。度々、取材で行って北電と地元民の対話集会や、反対運動の集会を覗いたが、反対を主張する内容は住民側の言い分が筋が通っているように感じた。

 住民の反対運動に労働運動団体が加わる

 住民側も建設反対ばかりではなかった。補償金をもらって容認する人々、北電側の言い分を信用して、公害は発生しないと信じる人々などである。しかし半数には届かない一派だった。

 建設計画地を整備するため、北電は予定地のくい打ちなど土地の測量から着手することを表明して事態が大きく動き始めた。住民の反対運動を支援する労働団体がこれに加わるようになり、政治運動の要素が大きくなっていく。

 筆者は、労働団体が積極的に反対運動に加わるようになってから、別の面から火電反対運動を見るようになった。そのきっかけを作ったのは、転勤まで勤務していた警視庁記者クラブ時代の人脈だった。取材源の秘匿があるから、誰からの情報と言うことは書けないが、ある糸口からこの反対運動の実態が手に取るように分かっていった。次回以降に書いてみたい。

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