<第49話>自衛隊は違憲・長沼ナイキ訴訟を担当

記者馬場錬成一代記

 世界に例がない「平和憲法」の第9条

 精神力、気迫、神風など実態の伴わない言葉で国民を躍らせ、太平洋戦争でボロ負けして全てを失った日本は、「軍の暴走」の反省に立って、戦後、日本国憲法第9条を制定した。

 日本国憲法第9条(要点)

第1項(戦争の放棄) 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇や武力行使の永久放棄。

第2項(戦力の不保持と交戦権の否認) 陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権を認めない。

 このような平和憲法を持っている国は、世界にない。中南米のコスタリカは、軍の保持を憲法で禁じており、実行している。外国から軍事侵略を受けたときは、アメリカ主体の同盟国が軍事出動して助ける同盟関係がある。日本は自衛隊を保持し、専守防衛をうたっているが、世界は軍隊とみている。

 自衛隊が北海道長沼町に地対空ミサイル発射基地建設の準備を始めたとき、地域住民らは、建設差し止めの行政訴訟を札幌地裁に起こした。その根拠に、自衛隊は憲法第9条第2項に違反していると主張したのだ。1969年7月のことだ。

 「自衛隊は違憲」・一審判決に至る裁判所の舞台裏を知る

1973年9月、 札幌地裁(福島重雄裁判長)は「自衛隊は憲法違反」と判断し、ミサイル基地建設差し止めを認めた。日本の裁判史上、今に至るも唯一の「自衛隊は憲法違反」とした衝撃の判決であり、政府は直ちに控訴して、これに対抗する策を進める。

 一審の法廷闘争のなかで、地元住民らの原告と国側の被告が次々と主張を展開したが、福島裁判長の訴訟指揮は、どう見ても原告有利に見える。判決が近づいてきたころ、新聞各社が次々と「初の違憲判決か」などと打ち上げ始めた。国側は焦ったに違いない。そこで「奥の手」を使って、福島裁判長に違憲判断を出さないように働きかけた。

 筆者はその舞台裏までは知らなかったが、2009年4月、福島重雄、水島朝穂、大出良知(共編著)『長沼事件 平賀書簡 35年目の証言 自衛隊違憲判決と司法の危機』(日本評論社、以下、長沼事件証言録と記述)が出版された。福島裁判長の日記と証言を主体にした長沼ナイキ裁判一審の知られざる事実を余すところなく記録したこの裁判の第一級の証言録だ。筆者は、出版されてすぐに購入し、むさぼるようにして読んだ。全編、驚くような事実で埋め尽くされており、今なお心のひだに刻まれている。

 この本は、数回にわたって読み込んだ本で、付箋が入り乱れている。本の中はメモで乱暴に埋まっているので見せられない。長沼ナイキ訴訟の全貌を知るための第1級の資料である。

 裁判所長から再三の呼び出し

 判決が近づくに従って当時の札幌地裁平賀健太所長が、福島裁判長を所長室に呼び出し、原告側の申立てを却下するよう示唆する発言をするようになる。そのようなことが「5回も6回もあった」(長沼事件証言録)としている。

 ある時は、福島裁判長の座ったソファの隣りに平賀所長がすり寄り、福島裁判長の左肩を所長の肩でグッ、グッと押しながら、「ねえ、ねえ、君、慎重にね」というのです。もう気持ち悪くてね」(同証言録、45ページ)と迫る。

 呼び出しに応じなくなると、自宅に一先輩のアドバイスとする詳細なメモを届けてきた。平賀所長は、原告側の申立てを却下するよう示唆する私信であり、のちに「平賀書簡」と呼ばれるようになる。これは裁判官の独立を憲法で義務づけた条文に触れるものである。

 憲法第76条第3項 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

 日本の職業や公務員の職位で、職務内容を憲法で義務付けている唯一で崇高な条文である。平賀所長の行動は明らかにこの憲法に違反している。福島裁判長は直ちに札幌裁判所の全判事にこの事実を公表し、裁判官会議でも平賀所長の行為を批判する結論になった。後日、最高裁判所事務総局も平賀所長を注意処分とした。

 二度の裁判官忌避も乗り越える

 裁判が進行中に、その裁判の担当判事はふさわしくないとの理由で、原告や被告から別の裁判官に交代させようとする行動を裁判官忌避と呼んでいる。福島裁判長も2回、被告・国側から裁判官忌避の申し立てがあった。しかし審理した札幌地裁と同高裁の判断はいずれも、問題なしとして忌避を却下している。裁判官の「良心」と「意地」が発揮されたと言えるだろう。

 「平賀書簡問題」は、大きな社会問題となり、司法の独立性を揺るがす「司法の危機」と呼ばれる事態にまで発展した。

 筋金入りの軍人だった福島裁判長

 福島裁判長の経歴で知られざる一面がある。長沼事件証言録によると、福島裁判長は、海軍兵学校78期の最後の修了生だった。終戦は山口県防府の海軍施設でだった。米軍のグラマン戦闘機の攻撃で校舎が焼かれ、トンネルの中で生活しているとき、8月15日を迎えた。戦後、京都大学法学部を卒業。裁判所書記官を務めながら司法試験に合格して判事になった。

 証言録によると、毎年、軍隊時代の仲間と集まり、床の間に海軍旗を飾り、海兵や軍歌を唄い、往時を懐かしみながら酒を飲んでいるという。証言録の81ページに次のようなくだりがある。

 ― 軍隊でのネガティブ体験があったとか、軍隊に対する強い反発があったからと言うのではなく、裁判官として憲法と自衛隊の関係を誠実に見ていくと、自衛隊は軍隊であると判断されたわけですね。

 福島 そうそう。

 ― 毎年、軍隊時代の仲間と集まり、旧海軍の旗を掲げる裁判官が、自衛隊違憲判決を出した。そういうことですね。

 福島 軍隊に反対だからということではないです。

 裁判官の職務を忠実に勤めあげる

 歴史的な判決を出して間もなく、福島裁判長は東京地裁手形部に異動、その後、福島地齋、福井家裁と異動したが地裁の裁判長を務めることはなかった。1989年8月31日に定年を前に退官。70歳の定年まで公証人を務めた後、晩年まで富山市で弁護士として活動した。

 二審札幌高裁の担当を命じられた筆者

 あるとき筆頭デスクから「長沼ナイキの控訴審判決が来年に迫ってきた。これは君に任せるので、現地を一度見てきてほしい」と言われた。そのころ長沼町の人口は、約1万3千人、コメと麦と大豆の一大産地であり、道央の穀倉地帯に位置する田園都市だった。観光地としても四季折々の景観が楽しめ、札幌からスキーに行くという人もいた。

 この土地になぜ国はミサイル基地建設を選んだかは分からないが、一審の違憲判決で負けた国が、二審では絶対に負けられない裁判である。どのような戦略で展開するのか。取材は原告弁護団からのレクチャーから始まった。次回以降で二審判決までを書きたい。

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