白川英樹先生の逝去を悼む
2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹先生が亡くなった。90歳だった。晩年は世界の若い世代の科学教育に熱心に取り組み、JST(国立研究開発法人・科学技術振興機構)が主催する世界の青少年の科学交流のサクラサイエンスプランでは、受賞発明の電気を通すプラスチックを実験的に製造する授業を開き、明快な英語講義に毎回、人気があった。
白川先生のノーベル賞受賞には、2つの偶然が重なったことを先生からお聞きしたことがあった。1つはよく言われているように、実験助手が作った金属光沢のプラスチックである。化学反応に使う触媒を実験指示書の1000倍の濃度で製造したために出来た偶然の産物だった。
プラスチックは絶縁体であり、電気を通さない。しかしこのときのプラスチックは金属光沢をしていかにも電気を通すように見えたが、やはり通さなかった。白川先生は、その後もこの金属光沢のプラスチックの中に電気を通すものがあるのではないかと眼をつけて、実験を広げていったが思うような成果が出てこなかった。
そうしているうち2つ目の偶然が訪れた。1976年、白川先生が勤務する東工大のセミナーにペンシルバニア大学のアラン・マグダイアミッド教授が招待され、学長室で雑談をしているうち、たまたま白川先生が研究していた金属光沢をしたプラスチックの話題になった。マグダイアミッド教授は「是非、実物を見たい」という。学長が現物を持参するよう白川先生(当時助手)に電話で呼び出し、先生はそれを持って学長室に入って行った。
見た瞬間、 「おお!と言って、マグダイミッド教授は、飛び上がらんばかりに驚きました」と白川先生は語った。その場で、共同研究者としてペンシルバニア大への招聘が決まった。渡米した白川先生は、マグダイアミッド教授と物理学のアラン・ヒーガー教授の3人で、電気を通すプラスチック合成の研究に打ち込み、ほどなく金属のように電気を通すプラスチックの合成に成功した。
日本人がオリジナルの研究成果を出し、アメリカの化学と物理学の研究者が応用研究を発展させ、基礎と応用が渾然一体となって結実した成果である。この業績で、白川・マグダイアミッド・ヒーガーの3人が、ノーベル化学賞に輝いた。
白川先生らしく「偶然が大きな成果に結びついたものですが、もともと研究とはそういうものです」と控えめに語った。実験テーブルを回りながら、外国の青少年に囲まれて質疑応するときは、実に楽しそうに談笑していた。若い世代への科学啓発の重要性をいつも語ってつきない先生だった。


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