<第2話>3億円事件の総括 ②

記者馬場錬成一代記

 事件発生で現場に急行

 3億円事件が発生したその日、1968年12月10日は、私のサツ回り勤務の初日であり、緊張して警視庁第8方面記者クラブのある武蔵野署に出勤した。三鷹駅を下車して徒歩6分程度で同署の玄関前に着くと、ばったり、朝日新聞社会部の坊園茂(ぼうぞのしげる)記者に出くわした。友人を通して学生時代から付き合いのあった坊園記者を、「ぼうちゃん」と呼んでいた。

 「ぼうちゃん、早いね、どうしたの?」

 「大変だよ、いま銀行の現金輸送車が盗まれたというので、現場にいくところだよ」

 玄関のドア越しに署内をのぞくと移動式白板が2つ並び、そこに乱暴な字で様々な情報が書きこまれていく。パトカーと交信する音声が拡声器から流れ、下命する声が署内を飛び交い、騒然とした雰囲気になっている。

 朝日新聞の社旗を付けたハイヤーが玄関先に入ってきた。坊園記者が乗り込む。とっさに私が言った。「ぼうちゃん、一緒に乗せてってよ」と言うと、「あ、いいよ」と席を空ける。朝日の車にライバル社の読売の記者が乗り込んで事件現場に行く。学生時代から友人同士という縁もあったが、緊急の場合には自然とそういう「付き合い」ができた時代でもあった。

 一番乗りで犯行現場を撮影

 現場にはどこの社もいなかった。一番乗りである。私たちは車から飛び出し、カメラを取り出し写真撮影を始めた。道路の真ん中に白バイが止まっている。緊急出動してきた白バイ警察官のものと思った。荷台の後ろにシート用のものがつながっていた。この場で、現金輸送車が奪われたらしい。

 周辺に壊れた紙箱のようなものが散乱している。ともかくも夢中で撮影した。坊園記者もカメラを持ってあちこち移動しているのが見えた。サツ回りは、いつでも現場写真を撮るようにカメラを持参していた。私はCanonの一眼レフだった。

 非常線を張って警察官も数人いたが、自由に撮影できた。現場の警察官に聞いても「わからない」の一点張り。ともかくも現場から一報を社に入れなければならない。しかし見渡しても、公衆電話ボックスがあるような場所ではない。

 現場の通称「学園通り」の片側は、府中刑務所の高い塀があり、反対側は田畑があったように記憶している。向こうの方にガススタンドが見える。民家までは距離があったが走って民家に飛び込み、電話を借りた。

 そこで初めて社のデスクから事件の概要を聞いた。デスクには、警視庁記者クラブから情報が入る。サツ回りは現場にはいるが、全体の様子がわからない。警視庁広報課発表の方が早くて正確だ。

 東芝府中工場の従業員に支給されるボーナス、総計およそ3億円を3個のジュラルミン・トランクに積んだセドリック(行員4人が乗車)が、ニセ警察官に盗まれたという。ニセ白バイに停車を命じられ、4人の行員が車から離れたすきに、乗り逃げされたのだ。

 「写真を撮ってから東芝府中工場へ行け」、「そこで東芝の取材をしろ」、「オートバイ便を出すから撮ったフィルムはオートバイに渡せ」ーそんな命令が早口で来る。

 東芝府中工場へ行き、会社の担当者から取材し、ボーナスは4525人分すべて袋詰めされており、ジュラルミンのトランク3箱に詰められているという。トランクを積んだセドリックを非常線で引っかければ捕まると思った。

 東芝側の話を原稿にして電話で送り、犯行現場を撮影したフィルムを抜き取って社から取りに来たオートバイ便に手渡し、同工場のスタッフから取材を続けた。撮影した現場の写真は、夕刊の早版ぎりぎり間に合う時間だ。原稿よりもどんな写真が載るか、そんなことを考えていた。

 夕方、捜査本部が設置された府中署に行って、初めてこの事件の全容を知った。そこには各社のサツ回り記者、警視庁記者クラブ担当記者ら100人を超える事件記者が集まってきた。府中署の周りは、社旗を付けた各社の車やTV局の中継車など数十台が取り巻いていた。

 偽装白バイにニセ警察官

 事件を再現するとこうなる。この日午前9時過ぎ、日本信託銀行国分寺支店から出発した現金輸送車のセドリックが、府中刑務所脇の学園通りを走っているとき、追い抜いて行った白バイに止められた。セドリックは行員が運転し、他に3人が乗っていた。運転席の窓を開けると白バイ警察官が言い放った。

 「お宅の支店長の家が何者かに爆破された。この車にも爆弾が仕掛けられているという情報がある。点検する」

 偽装白バイに止められ、ヘルメットをかぶり、もっともらしい恰好をしたニセ警察官に言われた4人は、すぐにその言葉を信じた。前日に「現金100万円をこの風呂敷に包んで、指定の場所に女性行員に持たせよ。これをしなければ支店長宅を爆破する」(脅迫状の大略)という封書が送り付けられ、犯人を取り込む大捜査をして空振りに終わったばかりである。行員はみなその事実を知っていた。

 車の下から白煙に「逃げろ!」

 「支店長の家が爆破された」と言われれば、100%信じるのは当たり前だ。ニセ警察官は「車を点検する」と言って車体の下に潜り込むと、ほどなく白煙が上がり、ニセ警察官が「ダイナマイトを見つけた。危ないから逃げろ!」と怒鳴った。言われた4人は、慌てて車から遠ざかった。

 誰もいなくなった車に乗り込んだニセ警察官は、セドリックを急発進すると学園通りをあっという間に遠ざかっていく。爆発すると危険だから、車を遠くに避難させようとしている勇敢な警察官だ、と行員たちは思ったという。

 白バイに偽装したオートバイを検証する捜査陣

 遅れた非常線が逃走を助けた

 セドリックはあっという間に視界から消えてしまった。白煙を噴き上げていた紙箱は「鎮火」し、ニセ白バイだけが残された。行員たちは近くのガススタンドに駆け込み110番した。「白バイに止められた。警察官は現金輸送車を運転してどこかに行ってしまった。どうなったのか」という問い合わせに、警察側もなにがなんだかわからなかっただろう。

 現金約3億円(正確には2億9430万7500円)を積んだ黒色セドリックのナンバーは分かっているので、警視庁は都内全域に非常線を張り、車を捕獲する緊急体制をしいた。しかし、その緊急手配は、なんの効果もなかった。セドリックを奪った犯人は、数分後には別の車に現金を積み替え、逃走していたからだ。 

 奪った金はセドリックからカローナに積みかえた

 ニセ警察官が現金輸送車セドリックの下にもぐりこみ、発炎筒から白煙を出して4人の行員を遠ざけて強奪したセドリックを猛ダッシュで逃げると、約500メートル北を右折して畑地の小路に入った。道路わきにケヤキや竹やぶがこんもりと茂った林がある。犯人はそこに事前に止めておいた濃紺のカローラに、現金の入った3つのジュラルミン・トランクをセドリックから積み替えた。

 セドリックはそのまま放置し、乗り換えたカローラで小路から一般道路に出た。その瞬間左から来た乗用車と危うく衝突しそうになるが、かろうじて交わしたカローラは、ものすごい勢いで逃走していく。ぶつかりそうになった車には、親子が載っていたが、その二人は「カローラには運転席に一人だけしか乗っていなかった」と証言している。

 何も知らない警視庁の捜査体制は、3個のジュラルミン・トランクを積んだ黒色のセドリックを緊急手配をして躍起となって追跡していた。道路の要所では、車を停止させて中を点検することもやっていたが、捜査の網にかかってこない。

 それからほどなくして、小路の脇に乗り捨てられたセドリックを巡回中の警察官が発見する。しかし、その時点では、まだ積み替えた車のことは皆目わかっていない。捜査当局には、間もなく網にかかるという楽観ムード出ていた。

 筆者らメディアの間でも、間もなく捕まるだろうという楽観論があった。夕方までに府中署に捜査本部が設置され報道陣が集まってきたが、どことなく緊迫感はなく、翌日の朝刊には犯人を拘束した記事で埋まるだろうと考えていた。筆者もその渦の中で、この大事件を「傍観」していた。

1968年12月10日付け読売新聞夕刊最終版の一面報道は、ほぼ全面を使って3億円事件を報道している。筆者の撮影した現場写真は、夕刊早版に掲載されたが、最終版の写真は、ヘリコプターから撮影した写真に差し替えられていた。

つづく

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