<第3話>3億円事件の総括 ③

記者馬場錬成一代記

 現金を積み替えた車は解明できたが・・・

 現金3億円を3つのジュラルミン・トランクを積んだセドリックから、濃紺のカローラにトランクを積み替えて犯人は逃げている。そこまでは分かったが、カローラのナンバーは不明だった。全国に手配しても、「濃紺のカローラ」だけでは、突き止めることはできない。

 ほどなくこの車は盗難にあった車と判明し、ナンバーは「多磨5ろ・35-19」と確定して事件発生から12日目に全国手配された。記者たちはナンバーをもじって「多摩五郎さんどこ行く」とつぶやいていた。このカローラさえ見つければ、事件解決に大きく踏み出すという期待が膨らんだ。

 ナゾ解きを先に言ってしまうが、このカローラは、事件発生から4か月後に小金井市の団地の駐車場で、シートに覆われたままで発見された。4か月間も全国手配して必死に追求したのに発見されたのは、事件発生現場の近くにある団地の青空駐車場だった。盗品シートにくるまれて放置されていた。誰も関心をもたない団地の青空駐車場の盲点をつかれた。

 車内に3個のジュラルミン・トランクが見える。その中に現金が入ったボーナス袋があるのではないか。発見の報に、筆者は団地の駐車場に急行する。各社の記者も駐車場に殺到し、テレビ局の中継車が続々と集まり、付近一帯はただならぬ騒ぎとなった。この後の光景はまた後で報告する。

写真説明 記者会見する警視庁捜査一課長のイメージイラスト。生成AI(chatGPT)に昭和時代の現場記者会見の光景の画像作成を依頼したら、往時を思い出させる画像を作ってくれた。

 捜査本部の府中署に泊まり込み

 事件発生から、あっという間に時間が過ぎていった。筆者は当初1週間、捜査本部が設置された府中署に泊まりこんで警戒にあたった。泊まり込むといっても寝場所はない。社の車に横になったり、府中署の署長応接室を臨時記者クラブにしてもらい、床に段ボールを敷いて横になったり、ソファで横になる程度。朝刊の締め切りは午前1時前後。それが過ぎれば「無罪放免」となり近所の旅館に行く記者も出てきた。

 署内の風呂を借りて入り、近所のスーパーから食品と下着を買って、記者たちは名前を書いた段ボール箱に入れて部屋の隅に積み上げていた。犯人は、いつ捕まるか分からない。夜中でも逮捕され連行される瞬間を写真に撮る必要がある。場合によっては号外だって出すかもしれない。旅館に行くときは、泊まり番の警察官に旅館の電話を教え、万一なにかあったら電話で呼び出してほしいと依頼する。警察官はどなたも親切で、各社の連絡電話を書いたメモを持っていた。

 府中署次長が気の毒に思ったのか迷惑と思ったのか、署の道場に各社のサツ回り記者7人ばかりが雑魚寝する場所を作り、留置場で使う毛布まで提供してくれた。そこで各社の記者と一緒に、留置場毛布にくるまり寝泊まりすることになった。

 府中・小金井・調布市など現場付近一帯に、約200人の捜査員が毎日、聞き取り捜査をかけているので、目撃情報が次々と寄せられた。ニセ白バイが引きずっていたシートは、最初ナゾになっていたが、目撃情報からニセ白バイにかぶせていたシートを荷台にひっかけたまま現場で引きずってきたものと判明した。

 驚くべき事件の輪郭

 聞き取り捜査とそれまでの犯罪捜査から、この事件の大まかな輪郭が浮かび上がってきた。それは驚くべき犯罪の全貌であった。それを整理するとこうなる。

  • 現金輸送車が出発した日本信託銀行国分寺支店と犯行現場との中間地点に、緑色のカローラが乗り捨てられており、これは3億円犯人が見張りにしていた地点だった。現金輸送車セドリックが通過するのを見届けると、そばにエンジンをかけたままに置いてあったニセ白バイに乗り換え、近道を通過して犯行現場に行った。
  • 現金輸送車の下で発炎筒をたいて煙を出し、驚いた輸送車の行員たちが逃げると、犯人はセドリックを乗り逃げした。500メートル先の小路にあらかじめ止めておいた濃紺のカローラに、セドリックから3個のトランクを積み替えて逃走した。
  • 緑色と濃紺の2台のカローラとニセ白バイのヤマハの計3台は、いずれも盗難車であることが判明した。事件現場付近には、犯人の遺留品、ニセ白バイに偽装するために使った塗装や物品類など多数の手がかりを残した。
  • 事件が発生した当日の早朝から、濃紺のカローラに3個のジュラルミン・トランクを積み替えて犯人が逃走するまでに、多くの目撃者がいた。新聞・牛乳配達人、早朝出勤者、付近の住民などだが、その誰もが警察官に偽装した若い男かコートを羽織った若い男の一人しか見ていない。つまり単独犯だった。
  • 3億円事件が発生する前に未解決の5件の脅迫事件があった。多磨農協脅迫事件などいずれも未遂に終わったもので、怪文書扱いとされていた。しかし事件発生前日の脅迫には「100万円持ってこい。来なければ支店長宅を爆破する」とあり、大取物は空振りに終わった。その後脅迫文の字体などを精査した結果、5件の脅迫事件はいずれも3億円事件の犯人の仕業と断定された。

 まだ言い足りないことが山ほどあるが、書き切れないので、この程度にとどめたい。事件そのものは、前代未聞の劇場型の強奪事件だが、そのヤマ(事件)を取り巻く一連の脅迫事件もまた、証拠物件が多数あるにもかかわらず、未解決のヤマとして残された。

 張り番記者たちの生活

 各社のサツ回り記者は、府中署に張り付けになっている。これを張り番と呼んでいた。万一、事件の動きがあったらいち早く警視庁記者クラブと本社に連絡して取材体制に入る。逆に警視庁記者クラブや本社から取材の指令が飛んでくることもある。

 府中署長応接室を「占拠」して臨時記者クラブにした第8方面記者クラブの我々記者は、締め切り時間までのちょっと暇なときは、麻雀か花札をして時間をつぶしていた。それが当時の警察担当とか記者クラブ担当の記者たちの定番の過ごし方だった。麻雀は学生時代に覚えたからできたが、花札のコイコイという独特のルールは、この記者クラブで他社のベテラン記者から教えてもらった。遊ぶ時間はせいぜい、日に数十分程度だった。

 府中署の裏庭の簡易プレハブ2階が捜査本部になっており、200人内外の刑事が常時出入りしていた。入口に強奪された3個のジュラルミン・トランクと同じものが積み上げてあり、中に現金と同じ重さの新聞紙が詰め込まれている。

 ジュラルミン・トランクのサイズは、72.5×21×39センチ。札束を入れた重さは、1個が大体30キロ弱だった。3つで90キロ弱だからそれなりの重さである。刑事が一人で3個のトランクの積み替えを実際にやってみた。渾身の力を込めてやれば、1分以内でたやすく積み替えができることが分かったという。

 捜査本部の見解は、最後まで単独犯になっていた。

つづく

コメント

  1. babarensei より:

    テスト送信

タイトルとURLをコピーしました