<第4話>3億円事件の総括 ④

記者馬場錬成一代記

 1週間の勝負

 事件発生から3日くらい過ぎたころから、この事件は一週間が勝負だと言われるようになる。誰が言ったかわからないが、府中署の捜査本部に張り付いている張り番記者の間でも、したり顔でいう記者が出てきた。それには、ワケがあった。後で分かったことだが、有力な容疑者が浮上してきたのである。

 夕方、200人規模の刑事たちの捜査本部会議が終了すると、警視庁の浜崎仁捜査一課長の記者会見がある。会見は、課長を記者たちが囲む立ち話会見だ。その日の捜査状況を語るのだが、有力な情報が出ているとして、目撃者の話などが語られることもあるが、大した内容ではなかった。

 不思議に思ったのは、警視庁捜査一課長を囲む会見なのに警視庁クラブから来ている各社の中堅・ベテラン記者は、遠巻きにしているだけで、ほとんど聞いていない。会見を熱心に聞いているのは、筆者を含め20歳代の若い張り番記者だけだ。会見が終わると、警視庁クラブ担当記者が近づいてきて「簡単に、送っておいて」などと言う。会見の内容を簡単に原稿にして送りなさいというだけで書いた原稿を読みもしない。各社の張り番記者も同じような有り様で、そそくさと書いて電話で読み上げて送ると、先輩記者と一緒にどこかレストランに夕食に行くのにくっついていく。

 夜回り取材が勝負を決する

 そこで先輩記者たちの会話を聞いて、初めて夜回り取材があり、報道合戦の勝負はそこで決することを学んだ。

 確かに会見などにでていないネタが、各社の紙面に出てくる。目撃情報や有力な内偵捜査の話だが、全て夜回りで聞いた内容をもとに、チームでまとめて書いているらしい。張り番はひたすら、府中署の捜査本部の動きを監視するだけだし、ときたま筆者も事件現場周辺に聞き取り取材に行くこともあったが、大した話は出てこない。巷にはいしだあゆみのヒット曲、ブルーライトヨコハマが流れていたことだけが記憶に残った。この話は、いしださんが亡くなった2025年夏にフェイスブックに書いて大きな反響をもらったことがある。

 少年Sが有力容疑者として浮上

 どこかの社が「有力容疑者が浮上」とぶち上げ、それをきっかけに各社が同じように書き始めた。これで事件は解決したと大方の記者たちは思った。張り番の記者たちも、「これで決着か」とつぶやくようになった。

 浮上した容疑者は、19歳の少年Sで、なんと父親が警視庁の白バイ隊員だという。父親は自宅に白バイで帰宅することがあり、白バイを観察する機会があった。少年はオートバイも車の運転も巧みで、非行少年グループのリーダーになっている。事件発生日のアリバイがはっきりしない。

 犯人と至近距離で接した日本信託銀行国分寺支店の4人の行員に写真を見せると、4人ともよく似ていると証言する。このような情報は全て夜回り取材で集めてきたもので、会見ではそのかけらも出てこない。

 夜回り取材とは何か

 夜回り取材とは、担当刑事たちの自宅に夜、訪問して話を聞いてくる取材だが、ペラペラ喋る刑事はいない。こちらから持ちかけた話に、そうかもしれないなどと受け答えする中から真偽を嗅ぎ取っていく。取材チームが夜回り後にミーティングをやりながら、メンバーが聞いてきた情報を出し合い、それを貼り合わせて全体像を描いていく。ジグソーパズルを完成するように、記者たちは部分的な情報を持ちよって貼り合わせ、実像を浮かび上がらせていく。

 その手法は、今でも記者取材の基本として残っているが、とりわけ口の堅い警察畑で真相を引っ張り出すのは相当なる技術がいる。警視庁担当の各社のキャップクラスの記者は、有能は事件記者であり、筆者たち張り番記者から憧れの的になっていた。読売新聞にも極めつけの事件記者がいて、筆者は一緒に夜回りにくっついていき、その現場を見て感動・感心したことがあった。

 少年Sはシロとクロに分かれる

 少年Sをクロとしたのには、相当なる理由があった。

  • 父親が白バイ警察官で白バイを至近で見る機会があった。
  • 非行グループのリーダーであり、車の窃盗手口では群を抜いていた。
  • その年春、発炎筒をダイナマイトに見せかけた強盗事件があったが、それを起こした少年と親しい関係にあった。
  • 車の運転もオートバイの運転技術にもたけていた。
  • 3億円を車ごと盗まれた銀行員4人にSの写真を見せると全員がよく似ていると証言した。

盗んできた青色のオートバイに白いペンキを塗り赤色灯を付けたニセ白バイは、よくよく見ればニセモノと分かるが、ニセ警察官が乗っていればどちらも本物に見えた。 

 一方で少年Sには、シロ説を支持する証拠が出ていた。

  • 多磨農協の脅迫事件と3億円事件は同じ犯人と断定しているが、農協脅迫状が届いた当時、Sは少年鑑別所に入っていた。
  • 脅迫状の切手から分かった血液型と彼の血液型は異なっていた。
  • 脅迫状の筆跡もSのものとは異なっていた。

 シロを支持する決定的な証拠に、事件が発生した12月10日の前日から、新宿のゲイボーイの自宅に泊まり込み、朝早くからいなくなったという証言があった。3億円事件を起こすには、時間的に無理があると見られていた。

 少年Sが自殺

 捜査本部も大混乱の中でシロクロを決めかねていた。メディアの間ではクロ説に傾いていたが、突然、舞台が暗転した。3億円事件から5日目の12月15日の夜、Sは青酸カリ自殺して19年の人生に自ら幕を下ろした。

 遺書もあったが、両親に非行に走ったことを詫び、3億円事件のことは一言も触れていない。自宅の捜査も行ったが、事件に結びつくようなことは何も出なかった。

 その後の捜査で容疑者としてターゲットにされたのは、前歴のある少年を含む犯罪者、警察官、自衛官、車の窃盗事件を起こした犯罪者など11万人を超える人数だった。執拗な洗い出しを行ったが、全員がシロと断定された。

 3億円事件発生から7年後の1975年7月、警視庁はいったんシロとした少年Sを含む非行グループの再捜査を決めた。異例中の異例であり、警視庁全体が緊張したと言われている。しかしこの再捜査でも、クロの証拠は何も出ず、この件は完全に幕を閉じた。

警視庁の手配書は、全国で貼り出された。

 初心に戻っての追跡

 少年Sの自殺とシロの結論で落胆した捜査本部は、初心に返って現金を積み替えた濃紺のカローラ「多摩5ろ 3519」を再三、全国の警察に発見を要請した。この車を発見すれば、犯人を追跡できる。

 さらに盗まれたボーナスの中に、500円札2000枚、100万円分の新券があり、その紙片番号は、(XF227001A~XF229000A)と分かっている。金融機関などでこの500円札を見つければ、犯人の足跡をたどれるという期待があった。しかし、現在に至るまで、この500円札は出ていない。

 「多摩五郎」の発見に驚愕

 捜査は明らかに行き詰まり、事件から4か月を迎えようとしていた。そこへ警視庁から驚く発表があった。1964年4月9日、「多摩五郎」は小金井市の団地に、長い間駐車されていたところを発見されたという。第一報を聞いた筆者は、事件現場の近くで発見されたことに驚愕しながら現場へ急行した。

つづく

コメント

タイトルとURLをコピーしました