窃盗事件に時効が来た
1975年12月10日、3億円事件の時効が成立した。当時の刑法で窃盗罪の時効は7年であり、これは今も変わらない。そのころ筆者は、転勤で札幌市の北海道支社編集部に異動していた。新聞・テレビ・週刊誌などのメディアが一斉に時効になった3億円事件を書きたてていたが、筆者が改めて思ったことは、あれは「単なる窃盗事件」だったいうことだった。

3億円事件の刑事時効を受けて捜査本部は解散された。そのときの記者会見の画像を、写真を参考にAI(ChatGPT)で作成した。
筆者が見ていた警視庁の捜査体勢は、営利誘拐事件をもしのぐような大捜査だった。捜査一課の殺人担当の腕利きの刑事や3課の窃盗専門の刑事たちが総出で特別捜査本部に投与され、さながら悪質な重要犯罪の捜査体制であった。
メディア側も警視庁記者クラブ担当のバリバリの事件記者ばかりであり、その中でも一課と三課担当の殺し・叩き(強盗傷害)事件を担当する腕利きの記者が、各社とも総出で取材していた。筆者のようなサツ回り記者など、使い走りのような張り番の役回りでしかなかった。
この事件は、道路上でわずか5分程度のやり取りで完了した窃盗だったのだ。盗んだものは、3億円を搭載したセドリック1台。その車から3個のジュラルミン・トランクを積み替えて、逃走したという窃盗事件である。
ニセ白バイにまたがったニセ警察官が、現金輸送車を止め、発煙筒をたいてダイナマイトだと脅して4人の行員を車から引き離し、すきを見て現金輸送車を乗り逃げしてまんまと3億円を手にする。絵にかいたような劇場型窃盗事件である。その事件がとうとう時効を迎えたという。
連日のようにテレビが取り上げ、週刊誌が取り上げ、ひとしきり3億円事件はあの日のように話題になっていた。しかし筆者はなぜか冷めていた。あの騒ぎはいったい何だったのだろうか。そうはいっても、改めて事件を思い出し、自分なりに総括する時間があったようだ。3億円事件とは全く関係ない手元にあった資料の余白に、走り書きしたメモが残っていた。そのことを書いてみたい。
銀行の実質被害はゼロ
被害額は3億円で、日本信託銀行国分寺支店が被害者だ。刑事事件では時効が成立したが、民事事件では被害額の3億円を返せという損害賠償請求権は残っている。民事の時効は1988年12月10日になっていたので、事件は未解決だと言われた。
しかし被害にあった日本信託銀行は、被害額ゼロと言う。現金輸送保険をかけていたからだ。その保険を掛けた国内保険会社は、さらに国外保険会社に保険をかけ、クモの巣のように張り巡らせていくという。簡単に言うと世界中の保険会社が手分けして被害額を補填しているようなことになる。
ボーナスを奪われた東芝府中工場の社員には、翌日、きちんとボーナスが支給された。完璧なフォローアップである。
東芝は損失なし、銀行は実質損失なし。保険会社は、海外の保険会社も含めて分散して補填しているので、これは単に経理上の支出と言うことなのだろうか。損害が出るようなら、その後の保険料率を上げればいいということなのだろうか。
いずれにしても3億円事件で、金銭的に損害を受けたところはないという説明だった。民事事件の時効は、1988年12月10日に成立して3億円事件の捜査にピリオドが打たれ完全犯罪となった。

「大捜査3億円事件 読売新聞社会部」(読売新聞社)は、紙上で連載した記事をもとに再取材・編集してまとめたもので、事実を忠実に記録したものだ。3億円事件を書いた書籍は多数出ているが、筆者の感想では、事実を克明に追跡した書籍としては他に例がない。この本を紹介した意図はそこにある。いまアマゾンの古本では1万円を超える値段がついているので「貴重品」らしい。
当時、札幌の北海道支社にいた私のところにも問い合わせがあり、連載原稿の一部を書いた記憶がある。発生から時効を迎えた7年が経ったときに再編集して出版したもので、記述内容に登場する人物のほとんどが実名で書かれている。まとめたのは、あとがきから門馬晋(事件発生時の警視庁記者クラブキャップ)、伏見勝(同捜査一課担当キャップ)、田中正人(同八王子支局記者)とある。いずれも事件発生からこの事件に関わった記者たちであり、筆者もそのグループの中にいた。
自殺者2人の被害が出た
3億円事件は、人を傷つけることもなく絵空事を言って騙し、まんまと大金を盗んだ犯罪だが、その余波で2人の自殺者を出している。
一人はこのシリーズの総括④で書いた19歳の少年Sである。遺書を残して青酸カリ自殺したものだが、遺書には3億円事件のことは何も触れていなかったと言われている。しかし一時期、少年Sが最有力容疑者として浮上し、白バイ隊員だった父親も事情聴取を受けたとされている。そうした事情から自殺に追い込まれたのではないか。その後、少年Sを有力な容疑者とするドラマも出てくるなどこの少年に大きな心理的負担をかけた可能性があるだろう。
もう一人の自殺者は、総括⑥で書いた青年Aさんである。別件逮捕でメディア各社が実名報道に切り替え、あたかも犯人であるかのような書きぶりも見られたが、実名がでたためアリバイが成立して誤認逮捕が明らかとなり釈放された。
ずさんな捜査とその尻馬に乗った人権侵害のメディア報道は、厳しい批判を浴びた。被害者の青年Aさんは、その後毎日新聞社と和解し、報道各社も反省の姿勢を伝えるなど名誉はやや修復されたように見えたが、一部の週刊誌などが執拗に追い、その後の青年Aさんを取り上げるなど、プライバシー侵害が続いた。
Aさんは、精神的に追い詰められて不安定になり、報道各社に各社が保管している誤認逮捕にかかわる写真や映像を使用不可とし、外部にも流れないように申し入れをした。しかしその後、精神科に入院するなど不安定な状態になり、自宅から離れて連絡がつかなくなった。そして2008年9月、沖縄県那覇市の民宿の5階から飛び降り自殺して果てた。
もし青年Aさんが、3億円事件に巻き込まれることなく別の人生を歩いていたら、このような悲劇にはならなかっただろう。3億円事件の被害者と言うよりない。
「3億円事件」は今でも起きている
府中の3億円事件は、誰も傷つけずにニセ白バイ警察官を名乗って現金3億円をせしめた事件だが、今では舞台を電話に移した「3億円事件」が続いている。
ニセ警察官やニセ公務員などを名乗った電話で、「あなたのカードが盗まれて悪用されている」などと言って、カードや銀行口座などの情報を聞き取り、現金を振り込ませたりだまし取る手口である。ニセ白バイ、ニセ警察官などの実像でダマすのではなく、電話の声だけでダマす手口だ。
ネット上でありもしない話をユーザーに伝えて信じ込ませ、クレジットカードの情報をだまし取って勝手に使用したり、金融口座から現金を盗む手口も同じだ。ネットを舞台に劇場型犯罪が登場したことになる。時代は変わったが、犯罪の手口は往時と基本的に同じような仕組みで続いている気がする。
3億円事件が残した教訓
3億円事件が未解決になり、捜査当局も犯罪捜査のやり方で大きな教訓を得た。犯罪が起きてからの従来型の聞き取り捜査の限界を知り、防犯に力を入れるようにもなった。社会的に防犯カメラの設置が進み、企業は現金輸送を専門の警備会社に委託する方法に切り替えた。
メディアもまた、捜査当局からの発表情報をそのまま流すだけでなく、独自に検証し、取材していく方法に軸足を移していく。人権侵害に対しても、書かれる立場を重視する報道姿勢を強め、報道倫理を強く意識した体制に移っていった。
最後の疑問
この「3億円事件総括」シリーズの第一回は、事件発生前日に三鷹署で発生した脅迫事件に遭遇した筆者の体験談を書いた。3億円事件は前日から始まったという設定である。この脅迫事件は、一般に出ている3億円事件の記録を見ても、どこにも残っていない。この件は、筆者の「宿題」として今後、解明したいと思っている。
次回からのシリーズについて
次回から3億円事件を離れ、当時、世の中を席巻した過激派学生たちの街頭闘争と東大安田講堂占拠と封鎖解除に進めていきたい。


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