<第8話>3億円事件総括 余話

記者馬場錬成一代記

 反響

 あれから57年も経つ。今更ながら古いネタを持ち出すことに少々、引け目を感じていた。走り始めてみれば3億円事件は、大スターであることが分かった。

 熊本駅前にある「くまもと森都心プラザ図書館」で、「未解決事件を追え!」の展示会が行われたが、その案内に「3億円事件の時効から50年」というフレーズがある。「時効から50年」が展示会の呼び込みになる。思わず笑ってしまった。スターはなんでもいいのである。

 このシリーズも予想を超える反響があった。「面白い」、「知らなかった」、「すごい」という感想が多くあり、これこそ3億円事件というスターに送られる喝采だと思った。

 犯人像

 モンタージュ写真から、鼻筋通ったイケメンが定着し、当時から若者の人気を集めていた。犯罪者と言う事実よりもカッコいいというスター性が受けており、爆弾が・・・と脅し、相手がうろたえたすきに現金輸送車を乗り逃げしたその手口は、傷つけず、実損を誰にも与えず完全犯罪を完成させたことが受けているのだろう。

 筆者の感想を言えば、犯人は30歳代から40歳代ではないかと思っていた。被害者や目撃者はいずれもヘルメットをかぶりマスクをした背の高い男しか見ていない。マスクをしていると顔の全貌は分かりにくい。現金輸送車を白バイで追い抜いてストップをかけ「爆弾が・・・」と言って脅し、車の下にもぐりこんで白煙筒をたいて避難させる。

 これは一種の芝居である。落ち着いてサクサクと人をだまし、現金輸送車から他の車に乗り換えて逃走し、盗んだ3台の車で犯罪を完結している。ある程度、社会経験を積んだ30歳代以上の人物がやる犯罪ではないか。20歳代の若者に捜査の焦点を当てたことが、最大のミスではなかったか。今回、回顧して本気でそう思った。

 事件記者

 警視庁記者クラブから捜査本部のある府中署に集まってくる記者たちは、どこの社の記者もカッコよかった。人気があったNHKの連続ドラマ「事件記者」のように、颯爽とした物腰が感じられ、会見後には捜査一課長とも対等の物言いで会話をしていた。

 仕事は確かで厳しかった。トクダネを抜くか抜かれるか。毎日、朝夕刊、ライバル紙を広げ、どこの社が何を追っかけているかを見抜き、その先を目指す話をしていた。「抜かれたら抜き返せ」、「抜いたら一気に突っ走れ」。これが合言葉だった。

 夜回り取材のマナーやコツも、問わず語りで伝わってくる。大事件の取材を日夜一緒に行動することで、事件記者の行動と原稿執筆の素早さを短時日で会得したように思う。

  NHKの連続ドラマ「事件記者」は、1958年から1966年まで放送された人気番組だった

 勧進帳

 締切時間に追われていても、いきなり電話器を取り上げ、頭の中で考えた文章をそのまま社の記者に伝えていく。原稿用紙に書かないで電話口でしゃべっていく。これを「勧進帳」ということも初めて知った。

 源義経一行が奥州へ逃げるとき、加賀国の安宅の関(石川県小松市)でとがめられた弁慶が、焼失した東大寺再建のための勧進を行っていると言った。関守から勧進帳(寄付を募る趣意書)を読んでみろと命じられた弁慶は、とっさに白紙の巻物を勧進帳であるように見せかけて広げ、朗々と読み上げて難を逃れる。何も書いていない白紙なのに、書いてあるように読み上げる。歌舞伎のあたり演目である。それをもじって、原稿用紙に書かないで頭の中で文章を考えながら原稿を送るやり方を勧進帳とつけた業界言葉だった。

 事件原稿の多くは、いつ誰が何をどうしたか簡潔に伝え、そのうしろにその原因や影響へと広げ、さらに関係者の対応へと書き込んでいく。

 いま起きた事件のあらましを取材すると、書く原稿の輪郭と中身が浮かんでくるので、いきなり電話口で喋ることもできる。そういう訓練を短時日のうちに体験できたのは幸運だった。

写真はAI(ChatGPT)が作成した昭和時代の電話ボックスの画像。半分から下が見えなかったため、この中で用を足す、よからぬ人物が相次いだため電電公社は、全身が見える透明ボックスに切り替えていった。この電話ボックスは懐かしい。電話器の横に10円玉を積み上げ、原稿を送った日々を思い出す。

10円玉

 取材で現場に急行するとき、「おい、10円玉を持ったか」と互いに声掛けするのが習慣になっていた。携帯電話がなかった時代、現場から原稿を送るのは、公衆電話か民家に飛び込んで電話を借りて送るよりない。運よく公衆電話が見つかっても、10円玉がなくなり、泣いたことは当時の記者なら一度はやっているだろう。

 民家に飛び込んで電話を借りるときは、緊急の場合でしかも原稿を送るから長話になる。そこで社に電話をかけて折り返し電話をもらい、それから原稿を送るという方法が一般的だった。電話代は10円でも、100円置いてくるが「礼儀」だった。しかし窮状を見ていた家主が、笑って受け取らないことが多かった。後で社会部に用意してある薄謝の風呂敷を御礼に送っていた。

「3億円事件の総括」はこれで区切りをつけます。

次回から「過激派学生運動と安田講堂占拠事件」をテーマに一代記を続けます。

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