<第9話>安田講堂占拠と過激派学生運動 ①

記者馬場錬成一代記

 3億円事件から学生紛争取材へ転出

 3億円事件の捜査が進展せず、停滞期に入ったのは、発生から3か月後の1969年3月ごろからである。4月に3億円の入ったジュラルミン・トランクを積み替えて逃げた濃紺のカローラが発見され、一挙に緊張が高まった。ところがカローラは、事件発生から26時間後には小金井の団地に放置されていたことが判明し、追跡捜査の希望はあっという間にしぼんでしまった。

 発生から半年ほど過ぎたころ、膠着状態の捜査本部の張り番をしていた筆者に警視庁第5方面本部のある池袋署のサツ回りに転出する辞令が出た。当時の池袋は新宿と並ぶ繁華街で、治安も安定していない区域を抱えていた。3億円事件の現場を離れる寂しさがあったが、都心部の繁華街のサツ担当にはどんな現場が待っているか、なにがしかの期待感もあった。

 記者クラブに顔を出すと、そこに朝日新聞の坊薗茂記者がぽつんと一人、座っていた。「ぼうちゃん、どうしたの」と問うと「今週からこっちに配置換えだよ」というので、二人で大笑いしたことがあった。

機動隊の規制に囲まれながら、街頭でデモ行進する学生たちの画像。AI(ChatGPT)の創作画像である。

国際反戦デーで騒乱罪を適用

 時間が前後するが、筆者が学生の街頭闘争を最初に取材したのは1968年10月21日の国際反戦デーの「新宿騒乱事件」だった。この日東京では、全学連の学生約6千人が防衛庁や国会、国鉄新宿駅周辺で大規模なデモを仕掛け、警官隊と激しく衝突した。このころはまだ、火炎瓶闘争はなかったと記憶する。

 筆者は、一般人の波の中に飲み込まれながら、新宿駅東口の歩道で学生と警官隊が衝突する様子を見ていた。学生の一部が駅構内に乱入していく。ホームになだれ込んでいく光景を遠くから眺めていた。国電は止まり新宿駅周辺は市街戦のような混乱状態になり、警視庁は夜遅くになり16年ぶりに騒乱罪を適用した。この夜、都内で逮捕されたものは750人にのぼった。

 本記と雑観

 夜遅くに社にあがるとすぐ、「おい、新宿に行ってたんだろう、雑観書け」とベテランの遊軍記者から声がかかった。紙面は一面の本記、社会面の本記と雑観という書き分けをするベテラン遊軍記者がいて、筆者のようなぺいぺいの記者たちは、断片的に見てきたことを原稿にしてベテラン遊軍記者に提稿(原稿を提出)する。

 集まってきた原稿を手元に置いてめくりながら、ベテラン遊軍記者が事実関係を簡潔にまとめ、大枠のストーリーを書き上げる。本記は事件のあらましを簡潔にまとめ、雑観は本記に関係した事件の周辺の出来事を、実況中継のようにまとめ上げる。大事件になると数十人の記者たちが取材した事実を、一人の記者が代表して本記担当と雑観担当がまとめていく。

 1970年代の編集局の風景。AI(ChatGPT)の創作画像であるが、雰囲気はよく出ている。

 いつであったか。夜勤でいたとき、火事の取材に写真部のカメラマンと一緒に飛び出していったことがある。当時、読売新聞本社は銀座3丁目にあった。締め切り間際の銀座の火事だ。銀座は都内でも随一の繁華街で注目地域である。ボヤでも騒ぎが大きくなり、大扱いになるということだった。

 現場には消防隊のデスクが設置され、いま燃えている火事場の進行状況が次々と書き添えられていく。報道の腕章を巻いてそれを覗き見ながらメモするのだが、ときたま「邪魔だ」と突き飛ばされることもある。消防隊は消火に必死だが、こちらも締め切り間際で必死である。

 締め切りギリギリの時間になって、電話ボックスに駆け込み、原稿を送ろうとするが興奮して言葉が出てこない。電話口の向こうにいる遊軍記者が「火事場の様子を実況中継風にしゃべれ」と怒鳴る。仕方なく、燃え盛る様子を「実況」し、出火から延焼へ至る状況をメモを見ながら説明調でしゃべる。「野次馬はどうだ」と聞かれてそれをしゃべる。原稿になっていないが、締め切りを過ぎてしまったらどうにもならないからしゃべる。

 社に戻るとほぼ同時にゲラが出てきた。火事のゲラを見て仰天した。しどろもどろの「実況中継の原稿」が、立派な火事場の記事になり、小さいながらも本記と雑観にかきわけてある。それも現場観とほぼ何も変わらず、見てきたように書いている。ベテラン遊軍記者の腕の確かさに舌を巻いた。だから(第8話で書いた)「勧進帳」など、朝飯前だったのだ・・・。

 「新聞記者、見てきたようなウソを書き」

 この小見出しのような言葉がある。新聞記者は時として、見てもいないものを見てきたように「嘘っぱち」を書くという意味かと思っていたが、新聞記者になって初めて真の意味を知った。

 これは警句だったのだ。短く鋭い言葉で真理や本質を突いた言葉だったのだ。腕利きの遊軍記者は、電話で送られてきたサツ回りの未熟な原稿をもとに、簡潔で臨場感あふれる新聞原稿をまるで自分が見てきたように作ってしまう。電話の向こうにいる新米記者との短い会話の中から、現場のありさまを嗅ぎ取って書いたものだ。「ウソ」と言い換えたところに、テレがあったのだろうか。あの頃のベテラン遊軍記者にいま一度会ってみたい。そのころの筆者のことを何というだろうか。その中に剛腕遊軍記者として鳴らしていた本田靖春さんもいた。

 こうして新米記者たちは、見て体験し鍛えられて一人前の記者になっていったのだ。

つづく

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