<第15話>幻の北京原人大特ダネ

 夜勤勤務の楽しみ

 社会部は夜勤と泊まり勤務があり、どちらも夜中までデスク周辺で仕事をしていた。先輩記者から夜勤には「価値あるタレコミがあるから粗末にするな」とアドバイスを受けていた。

 タレコミはよく言えば情報提供、悪く言えば「告げ口」だろうか。午後10過ぎになると必ず1、2件のタレコミ電話がかかってくる。真偽不明の情報を提供し、新聞社に調べさせようとする魂胆がありありのこともあれば、特定の人の足を引っ張るための怪しげな情報もある。仕事が暇なときは、タレコミ相手と長話になることもあった。しかし不快ではなかった。社会の動きが別の窓から見えたからだ。

 天津博物館にあったという北京原人の化石骨

 筆者がとったタレコミは「戦時中に中国にいた軍人が、終戦間際に天津博物館に展示してあった北京原人の化石頭蓋骨を持ち出して帰国した。その骨が金庫に収めてあるのを知っている」と言う話だった。

 「今急ぎの仕事が入ったので、1時間後にもう一度、電話がほしい」と言ってこちらの名前を告げて電話を切った。すぐに資料部に行って、天津博物館と北京原人についてあらましを調べてみた。

 天津博物館は中国でも一流の博物館であり、展示してあってもおかしくない。北京原人は約50万~20万年前に中国に生息していた化石人類で、北京郊外の周口店で発見され、火の使用や簡単な石器の使用が特徴だという。ホモ・エレクトス(原人)の一種とされ、人類史に残る重要な原人だが、化石骨は第二次大戦の際に行方不明になったままになっており、世界中どこにも存在が確認されていない。もしこれが日本にあるというなら大変な話である。タレコミ氏からの再度の電話を待った。

 1時間後にかかってきた。北京原人の頭蓋骨を収納した金庫を見て知っているという。その住所と持ち主の名前を聞いた。真偽不明のタレコミなので誰にも黙っていた。

 相手から存在を否定された

 夜勤明けは幸い時間があったので、夕方その住所に行ってみた。住宅地の普通の家で、応対に出たご婦人は、こちらが具体的に何を語っても「そういうものはありません」という言い方だった。玄関口にきちんと座り、実に丁寧な応対にこちらこそ真偽不明の話を持ち込んだという気持ちがあり恐縮した。

 それから1週間ほどたったが、この話は気になって、何度か思い出していた。応対したご婦人の語り口と表情に引っかかりがあったからだ。あれはなにか隠している。それでもう一度、訪問してみた。再度の訪問を詫びながら、突っ込んだ質問に入ろうとしたところで、相手のご婦人が手で制して「外で話をしましょう」と言って玄関を出るように促した。外に出ると、家人に聴かれたくないということを筆者に語った。

 近所の実業家に預けた化石骨

 外を歩きながら聞いた話はこうだった。

 亡くなった主人は中国帰還兵であり、中国から化石骨をいくつか持ってきた。どこから持ってきたかは語らなかったが、北京原人の頭蓋骨と言うことは聞いた。大事なものなので金庫にしまっていたことも間違いない。事業で行き詰まった時に近所の実業家で骨とう品を集めている人にこの化石を譲り渡し、助けてもらったことがあった。そこにあるはずだという。

 誰にも口外しないという約束をし、日を改めてその実業家の家に行くことにした。その後、社のデスクにもこの話をして、頭蓋骨を借り出したらすぐに東大の人類学の権威、鈴木尚・教授に鑑定を依頼することにした。デスクはこの話を信じ込み、すぐに北京原人班を作り、キャップにベテラン遊軍のM記者を指名して特報準備に入った。事実なら国際的にも大ニュースになる。

 北京原人の生活風景をAI(ChatGPT)に創作させた。この写真に馬が見える。そのワケは、この報告の終わりになると分かる。

 「社長の借用書」を要求される

 実業家の立派な家の応接室に通された。時代物の古風な書棚と展示棚に、いかにも価値がありそうな骨董類が多数飾ってある。見た瞬間、北京原人はここにあると確信した。

 実業家の話では、事業資金を貸したのでその担保としてこの化石骨を借り手の社長から預かった。先年、その社長が亡くなったので、貸金を棒引きにして化石骨はもらったという。

 倉庫から取り出してきたという、桐の箱に入った化石骨のフタを開けて見せてくれた。白っぽい骸骨風の骨が見える。傍らに赤茶けた化石のような石も見える。ともかくも専門家の鈴木尚先生の鑑定を仰ぎたいので貸してほしいと申し出た。

 すると「読売新聞社長の印鑑を押した借用書が必要だ」と言う。すぐに電話を借りてデスクに言うと「なに、借用書!」と叫んでいる。社の車に借用書を持たせるということで実業家の家で待つことにした。デスクは借用書と聞いて、ますますホンモノと思ったに違いない。

 東大・人類学教室に行く

 社の車が持参した借用書をみると、「化石骸骨一点を借用」とあり、大きな社長印があった。すぐにその車で東大へ向かった。社の車は無線車だった。無線電話でいつでも社のデスクと話ができるように配慮して、この車を出したものだ。すぐに連絡して、借り出したことを報告し東大に向かうと報告すると、写真部のカメラマンを出すという。いよいよ大特ダネの舞台が整ってきた。

 あっ、これは向こうの教室だね

 東大理学部人類学教室に行くと、出てきた若い研究者が「鈴木先生はまだ来ていません」と言った。要件を言うと「北京原人が博物館に展示していたことは聞いたことがない」と言いながら持参した桐の箱のふたを開けた。「ああ、これはね、この廊下をぐるっと回って向こう側の教室が専門だから、そこへ行って下さい」という。

 人類学でもいろいろ専門分野があるのだと筆者は思いながら、中庭をぐるっと回って向こう側になる教室前に行くと「動物学教室」と言う看板がかかっている。

 応対に出てきた研究者は、桐箱から頭蓋骨を取り出してくるくる回して「鑑定」していたが、なにやら横文字の学名らしいことを言いながら「これはサルの化石で、今でも生息している現生のサルの仲間です」という。

 その化石骨と一緒に入っていた、ごつごつしたいかにも古い化石は何だろうか。聞いてみた。すると研究者はこちらの化石もぐるぐると回してみている。

 50万年前の骨です

 研究者は、ちょっと首をかしげると「これは馬の左側の下顎骨かな」という。「いつ頃の年代の化石でしょうか」と筆者が問うと「そうですね、数10万年前、ま、50万年前でもいいでしょう」という。

 50万年前と聞いて筆者はびっくりした。これこそ価値ある化石ではないか。それを言うと研究者はにこやかに「この年代の馬の化石は、中国大陸ではいくらでも出てくるんですよ。だから価値はない。よく言うでしょう、どこの馬の骨だかわからんと」。

 これには吹き出してしまった。社に戻っていくと、社会部の遊軍デスクを囲んで4,5人の記者が待っていた。机の上に百科事典やスクラップ資料類が多数積んである。すでに「臨戦態勢」である。

 私が桐の箱のふたを開けると、覗き込んだ記者たちが口々に「どう見ても北京原人の化石には見えないなあ」と言う。経過を説明するとさもありなんという雰囲気だ。

 「この骸骨の隣にある岩のような化石は何だ」と言う。

 これまた説明すると「なるほどなあ、どこの馬の骨だかわからんか・・」と言って大笑いとなった。

 そこへ追い打ちをかけた発言があった。

 「これは北京原人が連れていた馬の骨だよ」

 大喝采して北京原人班は解散となった。

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