<第16話> 昭和天皇の第5皇女にインタビュー

人口比例選挙実現の活動

 泊まり明けに言われた緊急取材

 社に泊まった翌日は、朝から夕刊の紙面を作る作業がある。泊まりは熟睡することはなく、仮眠程度になる。特にサツ回り記者は、緊急電話のあるベッドで寝ることが義務付けられており、真夜中や明け方に事件や事故で、緊急電話で起こされて、写真部のカメラマンと一緒に現場に急行することがたびたびあった。大体は、警視庁記者クラブからの一報で起こされる。警視庁記者クラブには、当局から四六時中情報が入るシステムになっている。重大な事件・事故があるとクラブで泊っている記者に情報が入る。それを聞いた記者が自社の泊りの記者に伝えて現場に急行させる。

 翌日の夕刊時間帯は首都圏に配布する3版のゲラを見たところで、任務を解かれて持ち場に返っていく。サツ回りの持ち場は担当の警察署になる。サツ回りの勤務時間は午前10時から午後10時まで。これが公式的な社の決まりになっていたが、時間が来たから仕事は終了とはいかない。片が付くまでやるのがこの仕事の宿命だった。

 小さな原稿を出して区切りをつけ、社会部を離れようとした泊り明けのときだった。「おーい」と呼ばれた気がして振り向くと、デスクが紙をひらひら振ってこちらを呼んでいる。何か緊急取材が勃発したようだ。

天皇の第5皇女に会ってこい

 デスクのところにいくと、「ここに電話して貴子さんに会ってこい」と紙を渡された。貴子さんは昭和天皇の第5皇女であり、島津久永氏と結婚して皇籍を離れている。天皇陛下の娘である。

 デスクは「その電話にかければ貴子さんがいる。会って話を聞いて明日の朝刊に入れてくれ。高級ホテルのファッションなんとかという店にパートで勤めるそうだ。なんでそうなったか詳しく聞いてこい」という。

 民間人になったとはいえ、こんな「高貴」な方をインタビューしたことなどない。戸惑っている暇はない。写真部に行って事情を話すと、ベテランのカメラマンを出すという。なんでサツ回りにこんな大事な仕事が回ってきたのか。後で遊軍の記者から聞いた話では、取材者を誰にしようかとデスクが遊軍席を見たら、ネクタイを締めたスーツ姿は「君、一人しかいなかったらしいよ」ということだった。

 デスクから渡された紙を見ると、住所と電話番号のほかに、取材目的が簡単に書かれている。島津貴子さんは、東京・芝の東京プリンスホテルの高級服飾店「西武ピサ」で買い物客の相談役、サロン・アドバイザーをやることになったという。

 「皇室出身の女性としては、初めての就職」と書き添えてある。これがニュースになる理由だ。「宮内庁のコメントはクラブからさせる」とも書いてあった。

 宮内庁の取材は、宮内庁記者クラブの担当者からさせるということだ。なんでその人にしないでこっちに回ってきたのか。そんなことを考えていても始まらない。

 貴子さんってどういう方なのか

 大体、島津貴子さんは名前だけは知っていたが、どういう方なのか分からない。早速資料部に行って山のようにあるスクラップを読んでみた。

 兄弟姉妹は池田厚子、 東久邇成子、 鷹司和子さま、皇太子殿下(平成天皇)、義宮殿下(常陸宮さま)とある。二女の久宮さまは、生後半年で亡くなっているので、二男五女の末っ子が清宮(すがのみや)さまで貴子内親王とある。

 愛称を「おすたちゃん」と呼ばれ、末っ子らしく気さくなお人柄とある。成年皇族として初めての誕生日の記者会見のとき「どのような男性が理想ですか」と質問された。

 おすたちゃんは「私の選んだ人を見て下さい」とさらりと交わして評判となった。この言葉は当時の流行語となり、前の年に皇太子夫妻が恋愛結婚したことと、おすたちゃんこの言葉をきっかけに、恋愛結婚が増えるようになったという。

 電話をかけて約束をとりつけ、青山の高級マンションへ行った。ガードマンが固める民間マンションだが、1階に応接ルームがいくつかある豪華な建物だった。

 気さくな応対にびっくり

 待つほど間もなく、タートルネック風のセーターに淡い水色のミニスカートをはいた清子さんが入ってきた。一見してプロポーションのいい美人だった。

 「私、アポイントメント以外はお会いしないのですが、今日は特別よ」というようなことを言ったように記憶する。

電話での応対も、実際に会って話をしてみても、普通の女性と変わらず、実に気さくな雰囲気だった。だから普通の取材と同じように、結構、突っ込んだ質問もしたが、気取らず作らず素直な応対には感心してしまった。

 貴子さんの仕事は、火、水、木の週3日、午後1時から5時まで。買い物に来た客の相談相手になったり、店の企画のアドバイザーにもなるという。

動機を聞いてみた。

 「今までは、私の名前だけを利用するような仕事だけで、抵抗がありました。しかし社会に出て仕事をしてみたいと思っていたので、子どもも小学3年生になって手を離れたし、家庭生活にも支障はありませんので、決心しました」

 実に要領を得たものの言い方であり、表情も笑顔を絶やさず、言葉遣いが清らかでいかにも皇族出身を思わせる。

 30分と言う約束だったが、40分くらい会話をして取材を終わった。

 社に上がって原稿を書いているとデスクが来て、筆者の書きかけの原稿を読んでいる。

 「おお、いいじゃないか。この調子で仕上げてくれ。宮内庁のコメントは後ろにくっつけるからこっちでやる」と言う。こうして第2社会面にインタビュー記事が載った。

 袖見出しに“おしかりを受けてもやります”とあるのは、宮内庁の課長は、貴子さんの社会活動を好ましくないというニュアンスで語ったことを受けて言ったことだった。そのことを筆者が聞いたのかどうかは記憶が薄れてしまったが、いかにも明るく素直に言いそうなセリフだった。

1970年10月1日付け、読売新聞朝刊第2社会面に掲載されたインタビュー記事。肖像権に配慮してお顔は出さないことにした。

 取材を終えて帰社する車の中でカメラマンが「優雅な方だねえ。脚を見たか」と言った。すらりと伸びた脚を品よくたたんで斜めにしたポーズに、カメラマンはレンズを通して惚れ惚れしたのだろう。そう言われて初めて、そのことに気が付いた。やはり筆者はあがっていたのである。

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