性欲は三大本能のひとつ
病気で静養中だった時実利彦先生のご自宅に押し掛け、人間が生きていくうえで脳がどのような役割をしているのか。中澤デスクと2人でテープレコーダーを持ち込んで録音しながら、先生の話を伺った。インタビューを終えて帰社するとすぐに録音を再生し、メモにしながらどこを読者に伝える内容になるか、2人で話し合った。通常、中澤さんのような社会部筆頭デスクに近い人は、デスクワークが主体であり、平記者に指示を出し、原稿を書かせたものを改定しながら、より質のいい内容に高めて完成するのが仕事だ。
しかし筆者の書いた未熟な原稿を直すだけでなく、自分でも一緒に取材して原稿を書き、筆者に読ませて感想を求めるなど、2人で連載を続ける方針を最後まで貫いたデスクだった。

時実先生が脳のイラストを紙に書いて説明したことを整理して再現すると、このような図面になる。人間は本能だけで生きているわけではない。それに感情が加わり、最後は理性で判断して行動を起こす。
最も分かりやすい本能は性欲だという。本能だけで行動を起こすマウスやネコやウサギの話を聞いた。人間はそうはいかない。がしかし人間でも、本能だけで行動を起こす人もいる。それは脳に病気を抱えていてそうなったことが分かってきたという。世の中には、病的に本能の強い人もいるだろう。理性が足りないと私たちは言うが、脳の研究者から聞いていると、動物が脳に繰られて生きいるさまがよく分かった。
三層モデルで人間らしさを知る
脳幹部に近い場所から中間部、表層部に近づくに従って、脳はより質の高い「仕事」をやっていく。先生によると本能は視床下部と言う部位が支配しており、それは人間もネズミもネコもサルも同じだという。しかし人間としての感情、記憶を呼び出すのは辺縁系という部位であり、おでこの内側にある前頭葉の脳でさらに判断、思考を加え時には性欲を抑制する。人間が人間らしい考えと行動を起こすのは前頭前野が他の動物とは違って非常に発達しているからと言う。
時実先生から紹介されて横浜市立大学医学部生理学の川上正澄教授の研究室に伺った。性欲は、動物が種族保存のために必要な行為だからマウスもネコも人間も同じ仕掛けで脳が支配している。川上教授は、マウス、ネコ、ウサギでその仕掛けを追跡していた。
マウスの4日、人間は28日周期
川上研究室では多くの実験動物が飼育されていた。マウスの実験では、4日周期で排卵が起きていた。性欲と言うと誤解されそうだが、動物が種の保存ができるのは、この周期に合わせてメスの排卵とオスの発情が起きるからで、それを性欲と言う言葉で置き換えている。人間の女性の月経周期(生理周期)は、一般的には約28日周期と言われており、排卵時期になっている。
マウスの実験では、4日目の排卵期と同じ時期に発情期になり、それも午前1時から2時ごろであり、川上教授は「マウスの4日時計」と名付けていた。その神経細胞の詳細な仕掛けを500匹のマウスを使って世界で初めて成功していた。
脳の一部を破壊するとどうなる
ネコやウサギを実験動物にした成果で面白かったのは、脳の一部、この場合は辺縁系の一部を破壊して行動を見る実験だ。動物に麻酔をかけ、脳定位固定装置で脳内の望む場所に微小電極を差し込み固定する。
その電極に微弱な電気を送って動物の行動を調べる。オスのウサギの辺縁系の一部を壊してみると、ウサギの性欲が異常に高まり、仲間と言わず、ネコでも犬でも手当たり次第に交尾行動をはじめて相手を困らせる。オスの場合、これを発情期と呼ぶが、辺縁系にそれをコントロールするメカニズムがあるらしい。そこを破壊するとこうなってしまう。
人間でもやたら性欲を抑えきれない人がいるそうで、医学が未発達の時代は「色狂い」などと呼んでいたという。死後、解剖してみると辺縁系に脳腫瘍ができて機能を失ってそうなったもので病気だったのだ。今は脳内を詳細に見る装置が発達しているので、そういうことはない。

オスのウサギの辺縁系の一部を破壊すると、異常に交尾運動をする狂ったウサギになる。相手がいればところかまわず交尾運動をはじめて相手を困らせる。写真は川上教授提供。
ネコの怒りの反応
本能をコントロールしている視床下部を破壊した実験も取材した。九州大学医学部神経医学の中尾弘之教授は、脳定位固定装置を使ってネコの視床下部に電極針を差し込んだ。電極針は直径0.15ミリのステンレス製で表面は絶縁してある。電極のソケットはネコの頭に歯科用のセメントで固定する。手術の傷跡が治るのを待ち実験を始める。
電極に微弱の電気を流すと、ネコは理由もなくいきなり怒りの態度をとった。怒りの中枢を刺激したらしい。視床下部の様々な部位を刺激すると、それぞれ違った行動をとった。やたらとあたりを嗅ぎまわる反応、人にすり寄ってくる反応、キョロキョロ見回す反応、走り回る反応、毛を逆立て背を丸める怒りの反応・・・。

脳内に電極針を差し込まれたネコに微弱な電気を流すとネコは理由もなく怒りの態度をとる。見かけの怒りである。微弱電気を止めると、怒りもおさまる。写真は時実先生から提供を受けた。
本能の脳とされる視床下部には、このように刺激を受けるだけで行動を起こすメカニズムが格納されており、人間も同じだという。
「頭にくる!」のメカニズム
人間は、怒り心頭に発すると「頭にくる」という言葉を発する。そのメカニズムを簡潔に書くとこうなる。他人から悪口や侮辱を受けたとき、その情報が脳に入り、視床に届く。視床から辺縁系に行き「これは攻撃だ」、「不快だ」と判断して視床下部に信号を送る。心拍上昇や血圧上昇や顔が赤くなったり、攻撃行動をとることもある。
「頭にくると何をやるかわからんぞ」というが、それを抑えるのは大脳が発達している人間だけだという。状況を考え、判断し、理性を発揮して怒りを抑える。こういうことは人間だからできると教えられた。

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